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一切佛言應隨決了。四意趣者
 
一切佛言應隨決了。四意趣者
 
<ref>意趣。意の趣向、すなわち言おうとする意向のこと。</ref>。<br>
 
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一平等意趣。謂如說言。我昔曾於彼時彼分<ref>意趣。意の趣向、すなわち言おうとする意向のこと。</ref><ref>昔に於ける我の分斉はということ。</ref> 即名勝觀正等覺者<ref>眞諦譯に、毘婆尸とあるので過去七仏最初の毘婆尸仏(Vipasyin、びばしぶつ)のこと。</ref>。<br>
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一平等意趣。謂如說言。我昔曾於彼時彼分<ref>昔に於ける我の分斉はということ。</ref> 即名勝觀正等覺者<ref>眞諦譯に、毘婆尸とあるので過去七仏最初の毘婆尸仏(Vipasyin、びばしぶつ)のこと。</ref>。<br>
 
二別時意趣。謂如說言。若誦多寶如來名者。便於無上正等菩提已得決定。又如說言。由唯發願便得往生極樂世界。<br>
 
二別時意趣。謂如說言。若誦多寶如來名者。便於無上正等菩提已得決定。又如說言。由唯發願便得往生極樂世界。<br>
 
三別義意趣謂如說言。若已逢事爾所殑伽河沙<ref>殑伽河沙(がががしゃ)、恒河沙のこと。</ref>等佛。於大乘法方能解義。<br>
 
三別義意趣謂如說言。若已逢事爾所殑伽河沙<ref>殑伽河沙(がががしゃ)、恒河沙のこと。</ref>等佛。於大乘法方能解義。<br>
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一に入らしむる祕密、謂はく聲聞乘の中、或は大乘の中にて、世俗諦の理に依りて補特伽羅あり、及び諸法の自性の差別ありと説く。
 
一に入らしむる祕密、謂はく聲聞乘の中、或は大乘の中にて、世俗諦の理に依りて補特伽羅あり、及び諸法の自性の差別ありと説く。
 
二には相の祕密、謂はく是の處に於いて諸法の相を説いて三自性を顯す。
 
二には相の祕密、謂はく是の處に於いて諸法の相を説いて三自性を顯す。
三には對治の祕密、謂はく、是の處に於いて行對治は八萬四千なること説を説く。四には轉變の祕密、謂はく是の處に於いて其の別義なるを以て、諸言、諸字は即ち別義を顯はす。頌に言へるあるがごとし。<br>
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三には對治の祕密、謂はく、是の處に於いて行對治は八萬四千なること説く。四には轉變の祕密、謂はく是の處に於いて其の別義なるを以て、諸言、諸字は即ち別義を顯はす。頌に言へるあるがごとし。<br>
 
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:不堅を覺るを堅と爲し 善く顛倒に住し<br>
不堅を覺るを堅と爲し 善く顛倒に住し<br>
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:極煩惱に惱まされて 最上の菩提を得<br>
極煩惱に惱まされて 最上の菩提を得<br>
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釋して曰く。意趣と祕密と差別あるは、謂はく佛世尊は先に此の事を縁じ、後に他の爲に説く。是を意趣と名づく。此の決定に由りて聖教に入らしむる是を、祕密と名づく。<br>
 
釋して曰く。意趣と祕密と差別あるは、謂はく佛世尊は先に此の事を縁じ、後に他の爲に説く。是を意趣と名づく。此の決定に由りて聖教に入らしむる是を、祕密と名づく。<br>
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平等意趣とは、謂はく人あり相似の法を取りて是の如きの言を説くがごとし。彼は即ち是れ我なりと。世尊も亦た爾なり。平等の法身は置いて心中に在れば、言く我れ昔曾て彼に等しと。彼の昔時の毘鉢尸佛は、即ち是れ今日の釋迦牟尼に非ざるも、平等の義の起こす所の意趣に依りて、是の如きの説を作す。<br>
 
平等意趣とは、謂はく人あり相似の法を取りて是の如きの言を説くがごとし。彼は即ち是れ我なりと。世尊も亦た爾なり。平等の法身は置いて心中に在れば、言く我れ昔曾て彼に等しと。彼の昔時の毘鉢尸佛は、即ち是れ今日の釋迦牟尼に非ざるも、平等の義の起こす所の意趣に依りて、是の如きの説を作す。<br>
  
別時意趣とは、謂はく此に意趣は嬾惰なる者をして。彼彼の因に由りて彼彼の法に於いて精勤修習せしめ、彼彼の善根をして皆増長することを得しむ。此の中の意趣は多寶如來の名を誦するの因を顯はす。是れ昇進に因にして、唯だ名を誦するのみにて、便ち無上正等菩提に於いて已に決定することを得るに非らず。説いて言へる有るが如し。一の金錢に由りて千の金錢を得るは、豈に一日に於いてならんや。意は別時に在り。一の金錢は是れ千を得る因なる由るが故に此の説を作す。此も亦た是の如し。唯だ發願するのみに由りて便ち極樂世界に往生を得とは。當に知るべし亦爾なり。<br>
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別時意趣とは、謂はく此の意趣は嬾惰なる者をして。彼彼の因に由りて彼彼の法に於いて精勤修習せしめ、彼彼の善根をして皆増長することを得しむ。此の中の意趣は多寶如來の名を誦するの因を顯はす。是れ昇進の因にして、唯だ名を誦するのみにて、便ち無上正等菩提に於いて已に決定することを得るに非らず。説いて言へる有るが如し。一の金錢に由りて千の金錢を得るは、豈に一日に於いてならんや。意は別時に在り。一の金錢は是れ千を得る因なるに由るが故に此の説を作す。此も亦た是の如し。唯だ發願するのみに由りて便ち極樂世界に往生を得とは、當に知るべし亦爾なり。<br>
  
 
別義意趣の中、大乘の法に於いて方に能く義を解すとは、謂はく三種の自性の義理に於いて自ら其の相を證するなり。若し但名言の義に隨ふは是れ佛意なりと解了すれば、愚夫も此に於いて亦應に解了すべし。故に知る、此の中義を解すと言ふは、(その)意、證解に在り。(これ)す要す過去にて多佛に逢事するに由るなり。<br>
 
別義意趣の中、大乘の法に於いて方に能く義を解すとは、謂はく三種の自性の義理に於いて自ら其の相を證するなり。若し但名言の義に隨ふは是れ佛意なりと解了すれば、愚夫も此に於いて亦應に解了すべし。故に知る、此の中義を解すと言ふは、(その)意、證解に在り。(これ)す要す過去にて多佛に逢事するに由るなり。<br>
  
補特伽羅の意樂の意趣とは、謂はく、一りの爲に先には布施を讃じ後には還つて毀呰するがごとし。此の中に意は、先には慳悋多ければ爲に布施を讃じ、後には施を行ずることのみ樂へば、還つて復た毀呰して勝行を修せしむ。若し此の意無ければ、一の施の中に於いて、先には讃じ後には毀するは、則ち相違を成ず。此意有るに由りて讃ずるも毀るも理に應ず。尸羅等に於いても當に知るべし、亦爾なり。一分修とは世間の修を謂ふ。入らしむる祕密とは、謂はく若し是の處に世俗諦の理に依りて、補特伽羅及び一切の法の自性と差別ありと説くは、有情をして佛の聖教に入らしめんが爲なり。<br>
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補特伽羅の意樂の意趣とは、謂はく、一りの爲に先には布施を讃じ後には還つて毀呰するがごとし。此の中の意は、先には慳悋多ければ爲に布施を讃じ、後には施を行ずることのみ樂へば、還つて復た毀呰して勝行を修せしむ。若し此の意無ければ、一の施の中に於いて、先には讃じ後には毀するは、則ち相違を成ず。此の意有るに由りて讃ずるも毀るも理に應ず。尸羅等に於いても當に知るべし、亦爾なり。一分修とは世間の修を謂ふ。入らしむる祕密とは、謂はく若し是の處に世俗諦の理に依りて、補特伽羅及び一切の法の自性と差別ありと説くは、有情をして佛の聖教に入らしめんが爲なり。<br>
  
是の故に説いて入らしむる祕密と名づく。相の祕密とは、謂はく諸法の相を宣説する中に於いて三自性を説く。對治の祕密とは、謂はく是の處に於いて有情の諸行の對治を宣説す。有情の煩惱行を對治することを安立せんと欲するが爲の故なり。轉變祕密とは、謂はく是の處に於いて餘を説くを以て義の諸言、諸字は轉じて餘の義くぉ顯す。伽他の中に於いて、不堅を覺るを堅と爲すとは、不堅とは定を謂ふ、剛強ならず、馳散し調し難きに由るが故に不堅と名づく。即と此の中に於いて尊重の覺を起す、覺を名づけて堅と爲す。善く顛倒に住すとは、是れ顛倒と能顛倒の中に於いて善く安住する義なり。無常等に於いて是れ常等なりと謂ふを、名づけて顛倒と爲し、無常等に於いて無常等なりと謂ふは、是れ能顛倒なり。是れ此の中に於いて善く安住する義なり。極煩惱に惱さるとは、精進劬勞を名づけて煩惱と爲す。衆生の爲の故に長時に劬勞精進して惱まさるるなり。誦に、生死に處して久しく惱むは、但大悲に由ると言へる有るがごとし。如の是き等は、最上の菩提を得とは、其の義了じ易し。<br>
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是の故に説いて入らしむる祕密と名づく。相の祕密とは、謂はく諸法の相を宣説する中に於いて三自性を説く。對治の祕密とは、謂はく是の處に於いて有情の諸行の對治を宣説す。有情の煩惱行を對治することを安立せんと欲するが爲の故なり。轉變祕密とは、謂はく是の處に於いて餘を説くを以て義の諸言、諸字は轉じて餘の義を顯す。伽他の中に於いて、不堅を覺るを堅と爲すとは、不堅とは定を謂ふ、剛強ならず、馳散し調し難きに由るが故に不堅と名づく。即と此の中に於いて尊重の覺を起す、覺を名づけて堅と爲す。善く顛倒に住すとは、是れ顛倒と能顛倒の中に於いて善く安住する義なり。無常等に於いて是れ常等なりと謂ふを、名づけて顛倒と爲し、無常等に於いて無常等なりと謂ふは、是れ能顛倒なり。是れ此の中に於いて善く安住する義なり。極煩惱に惱さるとは、精進劬勞を名づけて煩惱と爲す。衆生の爲の故に長時に劬勞精進して惱まさるるなり。誦に、生死に處して久しく惱むは、但大悲に由ると言へる有るがごとし。是の如き等は、最上の菩提を得とは、其の義了じ易し。<br>
 
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2012年9月14日 (金) 02:35時点における版

出拠の『攝大乘論』と『攝大乘論釋 』

『攝大乘論』 玄奘譯]

復有四種意趣四種祕密。
一切佛言應隨決了。四意趣者 [1]
一平等意趣。謂如說言。我昔曾於彼時彼分[2] 即名勝觀正等覺者[3]
二別時意趣。謂如說言。若誦多寶如來名者。便於無上正等菩提已得決定。又如說言。由唯發願便得往生極樂世界。
三別義意趣謂如說言。若已逢事爾所殑伽河沙[4]等佛。於大乘法方能解義。
四補特伽羅意樂意趣。謂如為一補特伽羅先讚布施後還毀訾。如於布施如是尸羅及一分修當知亦爾。如是名為四種意趣。 [5]
[1]


『攝大乘論釋 』 玄奘譯

論曰。復有四種意趣四種祕密。一切佛言應隨決了。四意趣者。
一平等意趣。謂如説言 我昔曾於彼時彼分。即名勝觀正等覺者。
二別時意趣。謂如説言若誦多寶如來名者。便於無上正等菩提已得決定。又如説言由唯發願便得往生極樂世界。
三別義意趣。謂如説言若已逢事爾所殑伽河沙等佛。於大乘法方能解義。
四補特伽羅意樂意趣。謂如爲一補特伽羅先讃布施後還毀呰。如於布施。如是尸羅及一分修當知亦爾。如是名爲四種意趣。

四祕密者。一令入祕密。謂聲聞乘中或大乘中。依世俗諦理説有補特伽羅。及有諸法自性差別。二相祕密。謂於是處説諸法相顯三自性三對治祕密。謂於是處説行對治八萬四千四轉變祕密。謂於是處以其別義。諸言諸字即顯別義。如有頌言

覺不堅爲堅 善住於顛倒
極煩惱所惱 得最上菩提

釋曰。意趣祕密有差別者。謂佛世尊先縁此事後爲他説。是名意趣。由此決定令入聖教。是名祕密。

平等意趣者。謂如有人取相似法説如是言。彼即是我。世尊亦爾。平等法身置在心中。説言我昔曾於彼等。非彼昔時毘鉢尸佛。即是今日釋迦牟尼。依平等義所起意趣作如是説。

別時意趣者。謂此意趣令嬾惰者。由彼彼因於彼彼法精勤修習。彼彼善根皆得増長。此中意趣顯誦多寶如來名因。是昇進因。非唯誦名。便於無上正等菩提已得決定。如有説言由一金錢得千金錢。豈於一日意在別時。由一金錢是得千因故作此説。此亦如是。由唯發願便得往生極樂世界。當知亦爾。

別義意趣中。於大乘法方能解義者。謂於三種自性義理自證其相。若但解了隨名言義是佛意者。愚夫於此亦應解了。故知此中言解義者。意在證解。要由過去逢事多佛。

補特伽羅意樂意趣者。謂如爲一先讃布施後還毀呰。此中意者。先多慳悋爲讃布施。後樂行施。還復毀呰令修勝行。若無此意。於一施中先讃後毀。則成相違。由有此意讃毀應理。於尸羅等當知亦爾。一分修者。謂世間修。令入祕密者。謂若是處依世俗諦理。説有補特伽羅及一切法自性差別。爲令有情入佛聖教。

是故説名令入祕密。相祕密者。謂於宣説諸法相中説三自性。對治祕密者。謂於是處宣説有情諸行對治。爲欲安立有情煩惱行對治故。轉變祕密者。謂於是處以説餘義。諸言諸字轉顯餘義。於伽他中。覺不堅爲堅者。不堅謂定由不剛強馳散難調故名不堅。即於此中起尊重覺。名覺爲堅。善住於顛倒者。是於顛倒能顛倒中善安住義。於無常等謂是常等。名爲顛倒。於無常等謂無常等。是能顛倒。是於此中善安住義。極煩惱所惱者。精進劬勞名爲煩惱。爲衆生故長時劬勞精進所惱。如有誦言。處生死久惱。但由於大悲。如是等。得最上菩提者。其義易了。 [6]
[2]


『攝大乘論』 眞諦譯

復次有四意四依。一切仏世尊教応随決了。

一平等意。譬如有説。昔是時中我名毘婆尸 久已成仏。

二別時意。譬如有説。若人誦持多宝仏名。決定於無上菩提不更退堕。復有説言。由唯発願於安楽仏土得往彼受生。

三別義意。譬如有説。事如是等恒伽所有沙数諸仏。於大乗法義得生覚了。

四衆生楽欲意 譬如如来先爲一人讃歎布施後還毀呰。如施戒及余修亦爾。是名四種意。


『攝大乘論釋 』 眞諦譯

顯了意依章第四

論曰。復次有四意四依。一切佛世尊教應隨決了。
釋曰。如來所説正法。不出四意四依。此意及依由三性故可決了。若離三性無別 道理。能決了此法。

論曰。一平等意 釋曰。譬如有人執平等法 爾説彼即是我。世尊亦爾。平等法身安置心中。説如是言。
論曰。譬如有説。昔是時中我名毘婆尸。久已成佛
釋曰。非昔毘婆尸即是今釋迦牟尼。此説中以平等爲意。是名通平等。若説別平等。謂因果恩徳皆同。是名平等意。

論曰。二別時意。
釋曰。若有衆生由懶惰障 不樂勤修行。如來以方便説。由此道理於如來正法中。能勤修行方便説者。
論曰。譬如有説。若人誦持多寶佛名。決定於無上菩提不更退墮 
釋曰。是懶惰善根。以誦持多寶佛名。爲進上品功徳。佛意爲顯上品功徳。於淺行中欲令捨懶惰勤修道。不由唯誦佛名。即不退墮決定得無上菩提。
譬如由一金錢營覓得千金錢。非一日得千。由別時得千。如來意亦爾。此一金錢爲千金錢因。誦持佛名亦爾。爲不退墮菩提因。
論曰。復有説言。由唯發願。於安樂佛土得往彼受生。
釋曰。如前應知是名別時意

論曰。三別義意。
釋曰。此言顯自覺了實相。
由三性義道理。若但如聞覺了義。是如來意者。嬰兒凡夫亦能覺了。
是故如來意不如此。如來意云何。
論曰。譬如有説事。如是等恒伽所有沙數。諸佛於大乘法義。得生覺了。
釋曰。此覺了非聞得成。若人已事恒伽沙數佛。方得成就。是名別義意。

論曰。四衆生樂欲意。譬如如來先爲一人讃歎布施。後還毀呰。
釋曰。有衆生如來先爲讃歎布施功徳。後時或爲此人毀1呰布施。
如此意隨人得成。何以故。若人於財物有慳悋心。爲除此心故先爲讃歎布施。若人已欲樂行施。施是下品善根。如來後時更毀呰此施。令渇仰其餘勝行。
若不由此意讃毀則成相違。由如來有別意故。於一施中讃毀而不相違。
論曰。如施戒2及餘修亦爾。是名四種意。
釋曰。戒等亦如是。有人如來爲讃毀於修。此是世間修故可毀呰。若出世間修則無可毀。義意及依異相云何如來心先縁此事。後爲他説故名爲意。
由此因衆生決定。入正定聚故名此因爲依。



  1. 意趣。意の趣向、すなわち言おうとする意向のこと。
  2. 昔に於ける我の分斉はということ。
  3. 眞諦譯に、毘婆尸とあるので過去七仏最初の毘婆尸仏(Vipasyin、びばしぶつ)のこと。
  4. 殑伽河沙(がががしゃ)、恒河沙のこと。
  5. 復た四種の意趣、四種の祕密あり。
    一切の佛言なり、應(よろしき)に隨って決了すべし。四意趣とは、
    一には、平等意趣。謂く說いて言ふがごとし。我れ昔、曾って彼の時、彼の分に於いて即ち勝觀正等覺者と名づくと。
    二には、別時意趣。謂く說いて言ふがごとし。若し多寶如來の名を誦する者は、便ち無上正等菩提に於いて已に決定することを得たりと。又說いて言ふがごとし、唯だ發願するのみに由って、便ち極樂世界に往生することを得と。
    三には別義意趣、謂く說いて言ふがごとし。若し已に爾所(そこばく)の殑伽河沙等の佛に逢事せば、大乘の法に於いて方に能く義を解せん。
    四には補特伽羅の意樂の意趣。謂く一の補特伽羅の為に先に布施を讚し後に還って毀訾するがごとし、布施に於けるが如く是の如く尸羅及び一分修も當に知るべし亦た爾なりと。是くのごときを名づけて四種意趣と為す。
  6. 論に曰く。復た四種の意趣と四種の祕密あり。一切の佛の言なり、應に隨って決了すべし。四の意趣とは、
    一には平等意趣。謂はく説いて言ふがごとし、我れ昔曾て彼の時に於いて彼の分は、即ち勝觀正等覺者と名づく。
    二には別時意趣。謂はく説いて言ふがごとし。若し多寶如來の名を誦する者は、便ち無上正等菩提に於いて已に決定することを得と。又、説に言ふがごとし。唯だ發願するのみに由りて、便ち極樂世界に往生することを得と。
    三には別義意趣。謂はく説いて言ふがごとし、若し已に爾所の殑伽河沙等の佛に逢事すれば。大乘法に於いて方に能く義を解せんと。
    四には補特伽羅の意樂の意趣、謂はく一の補特伽羅の爲に先には布施を讃じ、後には還りて毀呰するがごとし。布施に於けるがごとく、是の尸羅及び一分修も當に知るべし亦た爾なり。是のごときを名ずけて四種の意趣と爲す。
    四の祕密には、 一に入らしむる祕密、謂はく聲聞乘の中、或は大乘の中にて、世俗諦の理に依りて補特伽羅あり、及び諸法の自性の差別ありと説く。 二には相の祕密、謂はく是の處に於いて諸法の相を説いて三自性を顯す。 三には對治の祕密、謂はく、是の處に於いて行對治は八萬四千なること説く。四には轉變の祕密、謂はく是の處に於いて其の別義なるを以て、諸言、諸字は即ち別義を顯はす。頌に言へるあるがごとし。
    不堅を覺るを堅と爲し 善く顛倒に住し
    極煩惱に惱まされて 最上の菩提を得
    釋して曰く。意趣と祕密と差別あるは、謂はく佛世尊は先に此の事を縁じ、後に他の爲に説く。是を意趣と名づく。此の決定に由りて聖教に入らしむる是を、祕密と名づく。
    平等意趣とは、謂はく人あり相似の法を取りて是の如きの言を説くがごとし。彼は即ち是れ我なりと。世尊も亦た爾なり。平等の法身は置いて心中に在れば、言く我れ昔曾て彼に等しと。彼の昔時の毘鉢尸佛は、即ち是れ今日の釋迦牟尼に非ざるも、平等の義の起こす所の意趣に依りて、是の如きの説を作す。
    別時意趣とは、謂はく此の意趣は嬾惰なる者をして。彼彼の因に由りて彼彼の法に於いて精勤修習せしめ、彼彼の善根をして皆増長することを得しむ。此の中の意趣は多寶如來の名を誦するの因を顯はす。是れ昇進の因にして、唯だ名を誦するのみにて、便ち無上正等菩提に於いて已に決定することを得るに非らず。説いて言へる有るが如し。一の金錢に由りて千の金錢を得るは、豈に一日に於いてならんや。意は別時に在り。一の金錢は是れ千を得る因なるに由るが故に此の説を作す。此も亦た是の如し。唯だ發願するのみに由りて便ち極樂世界に往生を得とは、當に知るべし亦爾なり。
    別義意趣の中、大乘の法に於いて方に能く義を解すとは、謂はく三種の自性の義理に於いて自ら其の相を證するなり。若し但名言の義に隨ふは是れ佛意なりと解了すれば、愚夫も此に於いて亦應に解了すべし。故に知る、此の中義を解すと言ふは、(その)意、證解に在り。(これ)す要す過去にて多佛に逢事するに由るなり。
    補特伽羅の意樂の意趣とは、謂はく、一りの爲に先には布施を讃じ後には還つて毀呰するがごとし。此の中の意は、先には慳悋多ければ爲に布施を讃じ、後には施を行ずることのみ樂へば、還つて復た毀呰して勝行を修せしむ。若し此の意無ければ、一の施の中に於いて、先には讃じ後には毀するは、則ち相違を成ず。此の意有るに由りて讃ずるも毀るも理に應ず。尸羅等に於いても當に知るべし、亦爾なり。一分修とは世間の修を謂ふ。入らしむる祕密とは、謂はく若し是の處に世俗諦の理に依りて、補特伽羅及び一切の法の自性と差別ありと説くは、有情をして佛の聖教に入らしめんが爲なり。
    是の故に説いて入らしむる祕密と名づく。相の祕密とは、謂はく諸法の相を宣説する中に於いて三自性を説く。對治の祕密とは、謂はく是の處に於いて有情の諸行の對治を宣説す。有情の煩惱行を對治することを安立せんと欲するが爲の故なり。轉變祕密とは、謂はく是の處に於いて餘を説くを以て義の諸言、諸字は轉じて餘の義を顯す。伽他の中に於いて、不堅を覺るを堅と爲すとは、不堅とは定を謂ふ、剛強ならず、馳散し調し難きに由るが故に不堅と名づく。即と此の中に於いて尊重の覺を起す、覺を名づけて堅と爲す。善く顛倒に住すとは、是れ顛倒と能顛倒の中に於いて善く安住する義なり。無常等に於いて是れ常等なりと謂ふを、名づけて顛倒と爲し、無常等に於いて無常等なりと謂ふは、是れ能顛倒なり。是れ此の中に於いて善く安住する義なり。極煩惱に惱さるとは、精進劬勞を名づけて煩惱と爲す。衆生の爲の故に長時に劬勞精進して惱まさるるなり。誦に、生死に處して久しく惱むは、但大悲に由ると言へる有るがごとし。是の如き等は、最上の菩提を得とは、其の義了じ易し。