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「隠顕」の版間の差分

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 ここでは、人に応じて仏のすがたが隠れたり現れたりするという意。 ([[観経疏 散善義 (七祖)#P--501|散善義 P.501]])
 
 ここでは、人に応じて仏のすがたが隠れたり現れたりするという意。 ([[観経疏 散善義 (七祖)#P--501|散善義 P.501]])
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 ここでは、一仏が隠れ退き、他仏が顕れるという意。 ([[観経疏 定善義 (七祖)#P--423|定善義 P.423]])
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2010年6月1日 (火) 21:18時点における版

おんけん

  →顕彰隠密(けんしようおんみつ)補註15 (浄文 P.495, 御伝鈔 P.1057)

おんけん

 文の表に顕れたものと裏に隠れたもの。 善導(ぜんどう)大師の隠顕は、ともに真実の説意で、親鸞聖人が 「化身土文類」 でいわれるような真仮 (真実・方便) を分別する意味ではない。 (散善義 P.454)


 ここでは、人に応じて仏のすがたが隠れたり現れたりするという意。 (散善義 P.501)

 ここでは、一仏が隠れ退き、他仏が顕れるという意。 (定善義 P.423)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

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