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   『善光寺縁起』によれば、百済から渡来した阿弥陀三尊像(一光三尊像)を、推古天皇一〇年(602)、本田善光がその尊像を信濃の自宅に安置し、皇極天皇元年(642)、さらにこれを同国水内郡芋井郷(現在の長野市)に移し、堂宇を造営したのが同寺の起源であるという。中世以降、広く民衆の信仰を集め、一大霊場となった。 ([[持名鈔#P--1012|持名鈔 P.1012]])
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   『善光寺縁起』によれば、百済から渡来した阿弥陀三尊像(一光三尊像)を、推古天皇一〇年(602)、本田善光がその尊像を信濃の自宅に安置し、皇極天皇元年(642)、さらにこれを同国水内郡芋井郷(現在の長野市)に移し、堂宇を造営したのが同寺の起源であるという。中世以降、広く民衆の信仰を集め、一大霊場となった。 ([[[正像末和讃#P--620|正像 P.620]],[持名鈔#P--1012|持名鈔 P.1012]])
  
 
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2008年2月28日 (木) 23:32時点における版

[ぜんこうじ]   『善光寺縁起』によれば、百済から渡来した阿弥陀三尊像(一光三尊像)を、推古天皇一〇年(602)、本田善光がその尊像を信濃の自宅に安置し、皇極天皇元年(642)、さらにこれを同国水内郡芋井郷(現在の長野市)に移し、堂宇を造営したのが同寺の起源であるという。中世以降、広く民衆の信仰を集め、一大霊場となった。 ([[[正像末和讃#P--620|正像 P.620]],[持名鈔#P--1012|持名鈔 P.1012]])

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

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