「因地」の版間の差分
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Ⅱ ここでは勢至菩薩が発心した時の意。( [[信巻末#P--259|信巻 P.259]]、[[浄土和讃#P--577|浄土 P.577]]) | Ⅱ ここでは勢至菩薩が発心した時の意。( [[信巻末#P--259|信巻 P.259]]、[[浄土和讃#P--577|浄土 P.577]]) |
2007年12月29日 (土) 22:20時点における版
いんじ
Ⅰ 仏果をめざして修行中の菩薩の地位。因位ともいう。(信巻 P.303、 高僧 P.579)
ここでは勢至菩薩がまだ無生法忍の果を得ていない時の意。 (尊号 P.649)
Ⅱ ここでは勢至菩薩が発心した時の意。( 信巻 P.259、浄土 P.577)
Ⅳ 「凡夫にてありしときという」(異本左訓)(高僧 P.579)
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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