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「一切世間極難信法」の版間の差分

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『阿弥陀経』の異訳の『称讃浄土経』の文。
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:又舎利子、此の雑染堪忍世界の五濁悪時に於て、若し浄信有る諸の善男子或は善女人、是の如きの'''一切世間極難信の法'''を説きたまふを聞きて、能く信解を生じ、受持し演説して、教の如く修行せば、当に知るべし、是の人は甚だ希有なりと為す。([[称讃浄土仏摂受経#nansin|称讃浄土仏摂受経]])
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2020年1月23日 (木) 10:40時点における版

いっさいせけん ごくなんしんぽう

 自力の心では決して信じることができないという意。本願救済の法は、世間の常識的な道理を超越しているから、自力にとらわれた心では信じ難い法であるということ。そのことはまたこの法の尊高をあらわしている。 (浄文 P.497)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

極難信法 世間甚難信

『阿弥陀経』の異訳の『称讃浄土経』の文。

又舎利子、此の雑染堪忍世界の五濁悪時に於て、若し浄信有る諸の善男子或は善女人、是の如きの一切世間極難信の法を説きたまふを聞きて、能く信解を生じ、受持し演説して、教の如く修行せば、当に知るべし、是の人は甚だ希有なりと為す。(称讃浄土仏摂受経)