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「解脱」の版間の差分

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 煩悩の束縛から解放され、輪廻し続ける迷いの世界から脱すること。涅槃と同義で用いられる場合が多い。仏教のみならず釈尊当時のインドでは一般的な思想。(浄土真宗辞典)
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2023年8月23日 (水) 01:49時点における最新版

げだつ

 煩悩(ぼんのう)の束縛から解放され、迷いの苦から脱すること。

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

げだつ 解脱

 煩悩の束縛から解放され、輪廻し続ける迷いの世界から脱すること。涅槃と同義で用いられる場合が多い。仏教のみならず釈尊当時のインドでは一般的な思想。(浄土真宗辞典)

◆ 参照読み込み (transclusion) JDS:解脱

げだつ/解脱

苦から解き放たれ脱すること、一切の煩悩や束縛から離れて精神的な自由を得ること。また、苦なる迷いの世界から解放された真の安らぎの世界、すなわち、涅槃悟りの境地)をも意味する。Ⓢ(vi)muktiⓈ(vi)muktaⓈ(vi)mokṣaⓅ(vi)muttiⓅ(vi)muttaⓅ(vi)mokkhaの漢訳。(毘)木叉・(毘)木底と音写される。人は現世でなした業にしたがって来世に生まれ変わり、善業をなせば善趣(人・天)に、悪業をなせば悪趣地獄餓鬼畜生阿修羅)に生まれる。しかし、善趣に生まれ変わっても、その善業が尽きれば、再び悪趣に堕ちることもある。つまり、善趣といえども最終的な安住の地ではない。そこで仏教は、輪廻の原因となる、善業や悪業といった有漏業(煩悩に基づいた業)を滅し、無漏業(煩悩に基づかない業)によって、善趣をも超えた境地、すなわち涅槃を究極の目標として目指すが、この輪廻からの超越を解脱という。


【参照項目】➡輪廻涅槃


【執筆者:平岡聡】