「龍舒浄土文」の版間の差分
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− | + | 十二巻。南宋の<kana>王日休(おうにっきゅう)</kana>(龍舒居士)の著。龍舒は著書がいた郡の名で、著者の通称。経論や伝記の中から浄土教に関する要義を集めた書。 | |
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2018年9月14日 (金) 19:39時点における最新版
りゅうじょじょうどもん
十二巻。南宋の
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
インクルード ノート:便同弥勒
便同弥勒(すなわち弥勒に同じ)
王日休の『龍舒増廣淨土文』からの引文。便同とは(
この文中の「便同弥勒(すなわち弥勒に同じ)」が、正定聚の初地不退説をこえて弥勒菩薩と同じ等覚であることを示す引文。なお現在の『大正蔵』の『龍舒浄土文』には「此経 寔往生之径術 脱苦之神方(この『経』はまことに往生の径術、脱苦の神方なり)」の部分はない。欄外の註釈文が本文に紛れ込んだものか。
御開山は前記の「便同弥勒」の引文をされた後に、『大経』の浄土に往生する者は「次如弥勒(次いで弥勒のごとし)」(信巻 P.263)の文と、『如来会』の「成不退転。当生彼国(不退転を成ぜるなり。まさにかの国に生ずべし)」(信巻 P.263)の、ともに弥勒に告げる文を引文され、さらに用欽の『阿弥陀経疏超玄記』の普授(成仏の授記)を示す文(信巻 P.264)を引文される。そして御自釈で、
と、念仏の衆生を弥勒に便同(すなわち同じ)とされておられる。
弥勒菩薩は、五十六億七千万年後に竜華樹の下で成仏し三度の説法が催されることから、その会座を竜華三会という。しかして、なんまんだぶを称える念仏の我らは、横超の金剛心を窮むるがゆゑに臨終の一念に大般涅槃を超証するのだといわれるのである。
『一念多念文意』でも「便同弥勒」の文を釈しておられる。
とある。『正像末和讃』では、便同弥勒(すなわち弥勒に同じ)の意を、
(26)
- 五十六億七千万
- 弥勒菩薩はとしをへん
- まことの信心うるひとは
- このたびさとりをひらくべし (正像 P.604)
(27)
(28)
と讃詠されておられた。