操作

「三論宗」の版間の差分

提供: WikiArc

 
1行目: 1行目:
 
さんろんしゅう
 
さんろんしゅう
  
 [[龍樹]]菩薩の『中論』『十二門論』とその弟子<kana>提婆(だいば)</kana>の『百論』にもとづいて成立した宗派。インドの<kana>中観(ちゅうがん)</kana>派を中国に移したもので、<kana>[[鳩摩羅什]](くまらじゅう)</kana>にはじまり、[[JDS|吉蔵|]]によって大成された。日本へは推古天皇33年(625)に、高句麗僧<kana>慧灌(えかん)</kana>によって伝えられた。[[南都六宗]]の一。
+
 [[龍樹]]菩薩の『中論』『十二門論』とその弟子<kana>提婆(だいば)</kana>の『百論』にもとづいて成立した宗派。インドの<kana>中観(ちゅうがん)</kana>派を中国に移したもので、<kana>[[鳩摩羅什]](くまらじゅう)</kana>にはじまり、[[JDS:吉蔵|吉蔵]]によって大成された。日本へは推古天皇33年(625)に、高句麗僧<kana>慧灌(えかん)</kana>によって伝えられた。[[南都六宗]]の一。
  
 
{{Copyright}}
 
{{Copyright}}
 
----
 
----
[[WDM:さんろんしゅう]]
+
:→[[四論]]
 +
:→[[WDM:さんろんしゅう]]

2024年11月9日 (土) 05:54時点における最新版

さんろんしゅう

 龍樹菩薩の『中論』『十二門論』とその弟子提婆(だいば)の『百論』にもとづいて成立した宗派。インドの中観(ちゅうがん)派を中国に移したもので、鳩摩羅什(くまらじゅう)にはじまり、吉蔵によって大成された。日本へは推古天皇33年(625)に、高句麗僧慧灌(えかん)によって伝えられた。南都六宗の一。

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

四論
WDM:さんろんしゅう