「四弘誓願」の版間の差分
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− | + | 三には、四十八願のなかに、念仏門において別に一の願を発してのたまはく(同・上意)、「乃至十念せん。もし生ぜずは、正覚を取らじ」(第十八願)と。([[往生要集下巻 (七祖)#別に一の願を発して|要集 P.1098]]) | |
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+ | と「第十八の願は[[別願]]のなかの別願なりと」と注釈された。「高才勇哲にして、世と超異す」([[大経上#P--11|大経 P.11]])る[[大乗]]の大菩薩である[[法蔵菩薩]]の[[四弘誓願]]の[[別願]]の[[四十八願]]であった。その別願の別願が[[第十八願]]であった。[[トーク:念仏証拠門のなかに…|(*)]]<br /> | ||
なお『往生要集』では三願目の学を知として「法門無量誓願知」としている。意味は同じである。<br /> | なお『往生要集』では三願目の学を知として「法門無量誓願知」としている。意味は同じである。<br /> | ||
2024年10月29日 (火) 14:21時点における最新版
しぐぜいがん
四つの広大な誓い。
- ①
衆生 無辺誓願度 。 一切の衆生をさとりの岸にわたそうと誓う。 - ②
煩悩無尽誓願断 (煩悩無辺誓願断)。 一切の煩悩を断とうと誓う。 - ③
法門無量誓願学 (法門無辺誓願学)。 一切の教えを学びとろうと誓う。 - ④
仏道無上誓願成 (無上菩提誓願証)。 この上ないさとりを成就しようと誓う。
この四は諸仏・菩薩に共通する願なので総願という。 これに対してそれぞれの仏や菩薩に固有の願を別願という。
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
四弘誓願の別願とは「化巻」で『往生要集』の「念仏証拠門」の、
三には、四十八願のなかに、念仏門において別に一の願を発してのたまはく(同・上意)、「乃至十念せん。もし生ぜずは、正覚を取らじ」(第十八願)と。(要集 P.1098)
と、「別に一の願を発して」とある。
この文を御開山は、
と「第十八の願は別願のなかの別願なりと」と注釈された。「高才勇哲にして、世と超異す」(大経 P.11)る大乗の大菩薩である法蔵菩薩の四弘誓願の別願の四十八願であった。その別願の別願が第十八願であった。(*)
なお『往生要集』では三願目の学を知として「法門無量誓願知」としている。意味は同じである。
四弘誓願の最初は、あらゆる生きとし生ける者(衆生)を済度(救う)するという利他の一番目の願がメインで、後の三願はそれを実行するための菩薩の自利の願である。大乗の菩薩がこの「衆生無辺誓願度」という願を真に発したならば、衆生は無辺であるから自らのさとりに安住することはない。浄土真宗ではその菩薩の居所としての浄土を往相・還相の淵源である無為涅槃の「無住処涅槃」であるとする。
御開山が仏果を得る「証」の益として、
- 還相の利益は利他の正意を顕すなり。(証巻 P.335)
とされ、「利他教化地」をあらわされた所以である。
なお七祖聖教では『往生要集』(要集 P.903) には、四弘誓願を詳述してある。