「断常見」の版間の差分
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とされていた。 | とされていた。 |
2024年4月5日 (金) 11:07時点における最新版
だん-じょう-けん
断見と常見。断見とは、自己と世界の断滅空無とみる見解。常見とは、自己と世界を常住不変とみて執着する見解。いずれも縁起の正理に背く邪見としてしりぞけられる。(化巻 P.435)
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
御開山は、断見・常見を破した龍樹菩薩を讃嘆して、
(2)
とされていた。