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「世俗の君子」の版間の差分

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『安楽集』に、曇鸞大師の事跡として、
 
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またつねに世俗の君子ありて、来りて法師を呵していはく、「十方仏国みな浄土たり、法師なんぞすなはち独り意を西に<kana>注(とど)</kana>むる。 あに偏見の生にあらずや」と。<br />
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またつねに世俗の君子ありて、来りて法師を<kana>呵(か)</kana>していはく、「十方仏国みな浄土たり、法師なんぞすなはち独り意を西に<kana>注(とど)</kana>むる。 あに偏見の生にあらずや」と。<br />
 
法師〔曇鸞大師〕<kana>対(こた)</kana>へていはく、「われすでに凡夫にして、智慧浅短なり。いまだ[[地位]]に入らざれば、念力すべからく<kana>均(ひと)</kana>しくすべけんや。 草を置きて牛を引くに、つねにすべからく心を[[槽櫪]]に繋ぐべきがごとし。 あにほしいままにして、まつたく帰するところなきことを得んや」と。([[安楽集 (七祖)#P--247|安楽集 P.247]])
 
法師〔曇鸞大師〕<kana>対(こた)</kana>へていはく、「われすでに凡夫にして、智慧浅短なり。いまだ[[地位]]に入らざれば、念力すべからく<kana>均(ひと)</kana>しくすべけんや。 草を置きて牛を引くに、つねにすべからく心を[[槽櫪]]に繋ぐべきがごとし。 あにほしいままにして、まつたく帰するところなきことを得んや」と。([[安楽集 (七祖)#P--247|安楽集 P.247]])
 
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とある。<br />
 
とある。<br />
 世俗の君子の、さとれば十方すべて仏国ではないかと、とがめる言葉([https://www.kanjipedia.jp/kanji/0000657100 呵])に対して、曇鸞大師は、私は愚かな[[凡夫]]でありますから、十方が仏国であり、この娑婆も仏国だという[[初地]]の菩薩の境地には達しておりません。私は、まるで自分が食べる草を背に<kana>荷(にな)</kana>う牛が、ひたすら牛小屋の飼い葉桶に想いを結ぶように、西方浄土に想いを懸けるばかりであります。どうして自らのほしいままにして帰るべき西方の浄土がないなどということを思えましょうや、と答えられたのであろう。→[[指方立相]] →[http://www.kanjipedia.jp/kanji/0000657100 呵]
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 世俗の君子の、さとれば十方すべて仏国ではないかと、とがめる言葉([https://www.kanjipedia.jp/kanji/0000657100 呵])に対して、曇鸞大師は、私は愚かな[[凡夫]]でありますから、十方が仏国であり、この娑婆も仏国だという[[初地]]の菩薩の境地には達しておりません。私は、まるで自分が食べる草を背に<kana>荷(にな)</kana>う牛が、ひたすら牛小屋の飼い葉桶に想いを結ぶように、西方浄土に想いを懸けるばかりであります。どうして自らのほしいままにして帰るべき西方の浄土ではないなどということを思えましょうや、と答えられたのであろう。
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:→[[指方立相]]
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曇鸞讃の[[高僧和讃#no23|(23)]] 以下の句は、次の[[安楽集 (七祖)#P--247|『安楽集』 (P.247]])の文に依られた。
 
曇鸞讃の[[高僧和讃#no23|(23)]] 以下の句は、次の[[安楽集 (七祖)#P--247|『安楽集』 (P.247]])の文に依られた。

2024年11月2日 (土) 01:03時点における最新版

せぞくのくんし

 東魏の国王、孝静帝であろう。第26首の「魏の主」、第27首の「魏の天子」、第30首の「君子」も同じ。「(高僧 P.582安楽集 P.247)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

『安楽集』に、曇鸞大師の事跡として、

またつねに世俗の君子ありて、来りて法師を()していはく、「十方仏国みな浄土たり、法師なんぞすなはち独り意を西に(とど)むる。 あに偏見の生にあらずや」と。
法師〔曇鸞大師〕(こた)へていはく、「われすでに凡夫にして、智慧浅短なり。いまだ地位に入らざれば、念力すべからく(ひと)しくすべけんや。 草を置きて牛を引くに、つねにすべからく心を槽櫪に繋ぐべきがごとし。 あにほしいままにして、まつたく帰するところなきことを得んや」と。(安楽集 P.247)

とある。
 世俗の君子の、さとれば十方すべて仏国ではないかと、とがめる言葉()に対して、曇鸞大師は、私は愚かな凡夫でありますから、十方が仏国であり、この娑婆も仏国だという初地の菩薩の境地には達しておりません。私は、まるで自分が食べる草を背に(にな)う牛が、ひたすら牛小屋の飼い葉桶に想いを結ぶように、西方浄土に想いを懸けるばかりであります。どうして自らのほしいままにして帰るべき西方の浄土ではないなどということを思えましょうや、と答えられたのであろう。

指方立相

曇鸞讃の(23) 以下の句は、次の『安楽集』 (P.247)の文に依られた。

またつねに世俗の君子ありて、来りて法師を呵していはく、「十方仏国みな浄土たり、法師なんぞすなはち独り意を西に注むる。 あに偏見の生にあらずや」と。(安楽集P.247)
(23)
世俗の君子幸臨し
 勅して浄土のゆゑをとふ
 十方仏国浄土なり
 なにによりてか西にある (高僧 P.582)
法師対へていはく、「われすでに凡夫にして、智慧浅短なり。 いまだ地位に入らざれば、念力すべからく均しくすべけんや。 草を置きて牛を引くに、つねにすべからく心を槽櫪に繋ぐべきがごとし。 あにほしいままにして、まつたく帰するところなきことを得んや」と。(安楽集P.247)
(24)
鸞師こたへてのたまはく
 わが身は智慧あさくして
 いまだ地位にいらざれば
 念力ひとしくおよばれず (高僧 P.582)
また難者紛紜たりといへども、法師独り決せり。 ここをもつて一切道俗を問ふことなく、ただ法師と一面あひ遇ふものは、もしいまだ正信を生ぜざるには、勧めて信を生ぜしめ、もしすでに正信を生ぜるものには、みな勧めて浄国に帰せしむ。 (安楽集P.248)
(25)
一切道俗もろともに
 帰すべきところぞさらになき
 安楽勧帰のこころざし
 鸞師ひとりさだめたり (高僧 P.582)