操作

トーク

「空」の版間の差分

提供: WikiArc

 
(同じ利用者による、間の1版が非表示)
37行目: 37行目:
 
}}
 
}}
  
 +
 仏教を学び始めると最初にハマるのが[[龍樹菩薩]]の空の論理である。ほとんどの人はこの魅力的な空の論理の罠に堕ちて、脳内思考で空観を論じるだけで[[空性]]の実践面ではゼロである。こういふ輩はスリッパで脳天を張り倒して
 +
:私の 煩悩と 仏のさとりは  本来一つゆえ
 +
: 「そのまま 救う」が 弥陀のよび声
 +
と空を説けば許してもらえるだろう。なんせ「空」なのだからわたしに責任は無い。(笑 <br />
 +
ともあれ、一切の仏教の全体を把握を試み新しい「五教十宗」の教判をされたのは、華厳宗第三祖の[[JWP:法蔵 (唐)|賢首大師法蔵]](644年 - 712年)であった。
 +
#① 我法倶有宗
 +
#② 法有我無宗
 +
#③ 法無去来宗
 +
#④ 現通仮実宗
 +
#⑤ 俗妄真実宗
 +
#⑥ 諸法但名宗
 +
#⑦ 大乗始教───切皆空宗
 +
#⑧ 終教─────真徳不空宗
 +
#⑨ 頓教─────相想倶絶宗
 +
#⑩ 円教─────円明具徳宗
 +
:➡[[hwiki:華厳教の五教十宗判]]
 +
ところで、御開山は龍樹菩薩の空の論理は使われておられない。それは龍樹菩薩の『十住毘婆沙論』の易行品の[[易行]]を引文されるのが主であることからも判る。
 +
{{Inyou|
 +
: 仏法に無量の門あり。世間の道に難あり易あり。陸道の歩行はすなはち苦しく、水道の乗船はすなはち楽しきがごとし。菩薩の道もまたかくのごとし。あるいは勤行精進のものあり、あるいは[[信方便易行]]をもつて疾く[[阿惟越致]]に至るものあり。([[十住毘婆沙論 (七祖)#no3|十住毘婆沙論 P.5]])
 +
}}
 +
とされ、大乗の菩薩道(大乗仏教では出家・在家、男女を問わず「さとりをもとめて修行する者の
 +
[[願作仏心]]」の意)を示されたのが[[信方便易行]]の道であろう。
  
[[Category:追記]]
+
御開山は空の論理ではなく、法然聖人の示して下さった[[穢土]]と[[浄土]]の二元論の上で仏教を解釈されので空の論理は用いておられない。
 +
御開山は、龍樹の『十住毘婆沙論』の四品九文を引かれるのだが、以下に御開山の引文を挙げてみる。
 +
 
 +
;龍樹菩薩関係の引文。<br />
 +
行巻
 +
:①『論の註』(上 四七)にいはく、「つつしんで龍樹菩薩の『十住毘婆沙』を案ずるにいはく ([[行巻#no18|行巻 P.154]])
 +
行巻
 +
:② 帰命はこれ礼拝なりとは。龍樹菩薩、阿弥陀如来の『讃』(易行品)を造れるなかに、([[行巻#no19|行巻 P.156]])
 +
行巻
 +
:③ ここをもつて龍樹大士は「即時入必定」(易行品 一六)といへり。([[行巻#P--187|行巻 P.187]])
 +
証巻
 +
:④ 龍樹菩薩・婆藪槃頭菩薩(天親)の輩、かしこに生ぜんと願ずるは、まさにこのためなるべしならくのみと。([[証巻#P--315|証巻 P.315]])
 +
真巻
 +
:⑤ 問うていはく、法蔵菩薩の本願(第十四願)、および龍樹菩薩の所讃(易行品)を尋ぬるに、みなかの国に声聞衆多なるをもつて奇とするに似たり。 ([[真巻#no25|真巻 P.359]])
 +
真巻
 +
:⑥ 本師龍樹摩訶薩、形を像始に誕じて、頽綱(頽の字、崩なり、破なり、落なり、纏るなり)を理る。 ([[真巻#363|真巻 P.363])
 +
文類聚鈔
 +
:⑦ 龍樹菩薩、(『十住毘婆沙論』(易行品 六)にいはく、「もし人、疾く不退転地を得んと欲はば、恭敬の心をもつて、執持して名号を称すべし。([[浄文#P--479|浄文 P.479]])
 +
文類聚鈔
 +
:⑧ 龍樹菩薩、世に興出して、ことごとくよく有無の見を摧破せん。([[浄文#P--486|浄文 P.486]])
 +
愚禿鈔
 +
:⑨ 龍樹大士『十住毘婆沙論』(易行品 一六)にいはく、「即時入必定」となり。([[愚禿下#P--538|愚禿下 P.538]])
 +
尊号真像銘文
 +
:⑩ 「成等覚」といふは正定聚の位なり。この位を龍樹菩薩は「即時入必定」(易行品)とのたまへり ([[尊号真像銘文#P--671|尊号 P.671]])
 +
尊号真像銘文
 +
:⑪ 『十住毘婆沙論』曰「人能念是仏 無量力功徳 即時入必定 是故我常念 若人願作仏 心念阿弥陀 応時為現身 是故我帰命」(易行品 一六)(易行品 一七)[文]([[尊号真像銘文#P--650|尊号 P.650]])
 +
尊号真像銘文
 +
:⑫ 「是故我帰命」といふは、龍樹菩薩のつねに阿弥陀如来を帰命したてまつるとなり。([[尊号真像銘文#P--650|尊号 P.650]])
 +
弥陀如来名号徳
 +
:⑬ 龍樹菩薩は「我説彼尊功徳事 衆善無辺如海水」(十二礼)とをしへたまへり。([[弥陀如来名号徳#P--730|名号 P.730]])
 +
と、空の論理は使われておられない。
 +
 
 +
なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ
 +
 
 +
----
 +
 
 +
 仏教を学び始めると最初にハマるのが[[龍樹菩薩]]の空の論理である。ほとんどの人はこの魅力的な空の論理の罠に堕ちて、脳内思考で空観を論じるだけで[[空性]]の実践面ではゼロである。こういふ輩はスリッパで脳天を張り倒して
 +
:私の 煩悩と 仏のさとりは  本来一つゆえ
 +
: 「そのまま 救う」が 弥陀のよび声
 +
と空を説けば許してもらえるだろう。なんせ「空」なのだからわたしに責任は無い。(笑 <br />
 +
ともあれ、一切の仏教の全体を把握を試み新しい「五教十宗」の教判をされたのは、華厳宗第三祖の[[JWP:法蔵 (唐)|賢首大師法蔵]](644年 - 712年)であった。
 +
#① 我法倶有宗
 +
#② 法有我無宗
 +
#③ 法無去来宗
 +
#④ 現通仮実宗
 +
#⑤ 俗妄真実宗
 +
#⑥ 諸法但名宗
 +
#⑦ 大乗始教───切皆空宗
 +
#⑧ 終教─────真徳不空宗
 +
#⑨ 頓教─────相想倶絶宗
 +
#⑩ 円教─────円明具徳宗
 +
:➡[[hwiki:華厳教の五教十宗判]]
 +
ところで、御開山は龍樹菩薩の空の論理は使われておられない。それは龍樹菩薩の『十住毘婆沙論』の易行品の[[易行]]を引文されるのが主であることからも判る。
 +
{{Inyou|
 +
: 仏法に無量の門あり。世間の道に難あり易あり。陸道の歩行はすなはち苦しく、水道の乗船はすなはち楽しきがごとし。菩薩の道もまたかくのごとし。あるいは勤行精進のものあり、あるいは[[信方便易行]]をもつて疾く[[阿惟越致]]に至るものあり。([[十住毘婆沙論 (七祖)#no3|十住毘婆沙論 P.5]])
 +
}}
 +
とされ、大乗の菩薩道(大乗仏教では出家・在家、男女を問わず「さとりをもとめて修行する者の
 +
[[願作仏心]]」の意)を示されたのが[[信方便易行]]の道であろう。
 +
 
 +
御開山は空の論理ではなく、法然聖人の示して下さった[[穢土]]と[[浄土]]の二元論の上で仏教を解釈されので空の論理は用いておられない。
 +
御開山は、龍樹の『十住毘婆沙論』の四品九文を引かれるのだが、以下に御開山の引文を挙げてみる。
 +
 
 +
;龍樹菩薩関係の引文。<br />
 +
行巻
 +
:①『論の註』(上 四七)にいはく、「つつしんで龍樹菩薩の『十住毘婆沙』を案ずるにいはく ([[行巻#no18|行巻 P.154]])
 +
行巻
 +
:② 帰命はこれ礼拝なりとは。龍樹菩薩、阿弥陀如来の『讃』(易行品)を造れるなかに、([[行巻#no19|行巻 P.156]])
 +
行巻
 +
:③ ここをもつて龍樹大士は「即時入必定」(易行品 一六)といへり。([[行巻#P--187|行巻 P.187]])
 +
証巻
 +
:④ 龍樹菩薩・婆藪槃頭菩薩(天親)の輩、かしこに生ぜんと願ずるは、まさにこのためなるべしならくのみと。([[証巻#P--315|証巻 P.315]])
 +
真巻
 +
:⑤ 問うていはく、法蔵菩薩の本願(第十四願)、および龍樹菩薩の所讃(易行品)を尋ぬるに、みなかの国に声聞衆多なるをもつて奇とするに似たり。 ([[真巻#no25|真巻 P.359]])
 +
真巻
 +
:⑥ 本師龍樹摩訶薩、形を像始に誕じて、頽綱(頽の字、崩なり、破なり、落なり、纏るなり)を理る。 ([[真巻#363|真巻 P.363])
 +
文類聚鈔
 +
:⑦ 龍樹菩薩、(『十住毘婆沙論』(易行品 六)にいはく、「もし人、疾く不退転地を得んと欲はば、恭敬の心をもつて、執持して名号を称すべし。([[浄文#P--479|浄文 P.479]])
 +
文類聚鈔
 +
:⑧ 龍樹菩薩、世に興出して、ことごとくよく有無の見を摧破せん。([[浄文#P--486|浄文 P.486]])
 +
愚禿鈔
 +
:⑨ 龍樹大士『十住毘婆沙論』(易行品 一六)にいはく、「即時入必定」となり。([[愚禿下#P--538|愚禿下 P.538]])
 +
尊号真像銘文
 +
:⑩ 「成等覚」といふは正定聚の位なり。この位を龍樹菩薩は「即時入必定」(易行品)とのたまへり ([[尊号真像銘文#P--671|尊号 P.671]])
 +
尊号真像銘文
 +
:⑪ 『十住毘婆沙論』曰「人能念是仏 無量力功徳 即時入必定 是故我常念 若人願作仏 心念阿弥陀 応時為現身 是故我帰命」(易行品 一六)(易行品 一七)[文]([[尊号真像銘文#P--650|尊号 P.650]])
 +
尊号真像銘文
 +
:⑫ 「是故我帰命」といふは、龍樹菩薩のつねに阿弥陀如来を帰命したてまつるとなり。([[尊号真像銘文#P--650|尊号 P.650]])
 +
弥陀如来名号徳
 +
:⑬ 龍樹菩薩は「我説彼尊功徳事 衆善無辺如海水」(十二礼)とをしへたまへり。([[弥陀如来名号徳#P--730|名号 P.730]])
 +
と、空の論理は使われておられない。
 +
 
 +
なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ
 +
 
 +
 
 +
 
 +
[[Category:追記]]<p id="page-top">[[#|▲]]</p>

2024年9月22日 (日) 00:05時点における最新版

空 シューニヤ(śūnya)の訳。舜若(しゅんにゃ)と音写する。また梵語シューニヤター(suññatā)の訳で、舜若多と音写する。
後者は「空なること」の意味であるから、空性とも訳される。また主空神を舜若多神と称する。空とは、一切法は因縁によって生じたものであるから、そこに我体・本体・実体と称すべきものがなく空(むな)しいこと。それ故に諸法皆空といわれる。
このように一切は空であると観見することを空観という。空は虚無(偏空)ではなくて、空を観じることは真実の価値の発見であるから、真空のままに妙有である。これを真空妙有[1]という。 これに反して空の虚無的な理解を悪取空という。空は仏教全般に通じる基本的な教理であり、大乗・小乗の経論で空の教理に関係しないものはないが、その教理の浅深に随って説明の仕方が一様でない。

①二空。

(イ) 人空(実我の空なること。有情の個体の中心に我体と称すべきものがないこと。我空、衆生空、生空、人無我ともいう)と法空(因縁によって生じたものであるから一切の存在自体が空であること、法無我ともいう)。一般には、小乗は人空のみを説いて法空を説かないが、大乗は人法二空(人法二無我、我法二空)を説くといわれる。
(ロ) 析空(存在を分析しつくして、そこにあらわれた空)と体空(当体即空の意味で、存在の当体に即してそのままに空であると体達した空)。小乗と成実宗とは析空を説き、大乗は体空を説くといわれる。
(ハ) 但空(空にかたよって不空の理を知らず、妙有の一面を認めないこと。偏空ともいう)と不但空(空にとらわれないで妙有の一面を認める中道の空。これは一切法には決定された自性は得られないとする空であるから、不可得空ともいう)。

②三空。

(イ) 法相宗では三性の一々に空の義があるとして、これを三空という。即ち凡夫によって妄執された境である遍計所執性が実は空無であることを無性空といい、因縁によって生じた法である依他起性は遍計所執性とは異なって全く無ではないが、凡夫の妄情におけるように有ではないことを異性空といい、真如の理である円成実性が人法二空によって顕された自性であることを自性空という。
(ロ) 人空・法空・倶空(人法二空)の三。

③四空。
法法相空(法相空)・無法無法相空(無法相空)・自法自法相空(自法相空)・他法他法相空(他法相空)(大集経巻五四、大品般若経巻五)。

④六空。
内空(六内処即ち眼などの六根が空であること。受者空、能食空ともいう)・外空(六外処即ち色などの六境が空であること。所受空、所食空ともいう)・内外空(身空、自身空)・空空(空なりと観じることも空であること。能照空ともいう)・大空(十方の世界が空であること。身所住処空ともいう)・第一義空(諸法の外に実相といわれるものの自性がないこと。勝義空、真実空、真境空ともいう)(舎利弗阿昆曇論巻一六)。

⑤七空。
相空(諸法のすがた即ち自相も共相もすべて空であること。自相空ともいう)・性自性空(性[諸法]の自性[実体]が空であること。自性空ともいう)・行空(五薀が我・我所を離れていて因縁によって起こること)・無行空(涅槃は五薀の中にいまだかつて行じたことがないこと。不行空ともいう)・一切法離言説空(一切法は言語に説きあらわすことができず空であること)・第一義聖智大空(果位の聖智註によって見られる第一義空)・彼彼空(彼において此がなく、此において彼がなく、ただ「無い」というだけの浅い意味における空)(四巻楊伽経巻一)。

⑥十空。
内空・外空・内外空・有為空(有為法が空であること)・無為空(無為法即ち涅槃が空であること)・散壊空(仮の集合であるから離散し破壊する相をもっていて空であること。散空ともいう)・本性空(自性が空であること。性空ともいう)・無際空(始めなくして存在する一切の諸法がすべて空であること。無始空、無前後空ともいう)・勝義空・空空(大毘婆沙論巻八)。

⑦十一空。
内空・外空・内外空・有為空・無為空・無始空・性空・無所有空(諸法には決定された自性は求めても得られないから空であること。不可得空ともいう)・第一義空・空空・大空(北本涅槃経巻一六)。

⑧十六空。
内空・外空・内外空・大空・空空・勝義空・有為空・無為空・畢寛空(諸法を空じおわった窮極の空)・無際空・無散空(積み集めた善根を散じ捨てることなく、しかもその善根に執われないで空と観ずること。不捨離空、不捨空ともいう)・本性空・相空(三十二相、八十種好が空であること)・一切法空(一切の仏法が空であること)・無性空(人法二空の故に一物も執着すべきものがないこと)・無性自性空(その無性もまた自性が空であること)(弁中辺論巻上)。

⑨十八空。
内空・外空・内外空・空空・大空・第一義空・有為空・無為空・畢覧空・無始空・散空・性空・自相空・諸法空(一切諸法が空であること)・不可得空・無法空(過去と未来の諸法が空であること)・有法空(現在の諸法が空であること)・無法有法空(大品般若経巻三、大集経巻五四、大智度論巻三一)。
このほかに十二空、十四空、十九空、二十空など種々な形があるが、中でも十八空が最も有名で、「十八空論」という論書もある。(仏教学辞典)

 仏教を学び始めると最初にハマるのが龍樹菩薩の空の論理である。ほとんどの人はこの魅力的な空の論理の罠に堕ちて、脳内思考で空観を論じるだけで空性の実践面ではゼロである。こういふ輩はスリッパで脳天を張り倒して

私の 煩悩と 仏のさとりは  本来一つゆえ
 「そのまま 救う」が 弥陀のよび声

と空を説けば許してもらえるだろう。なんせ「空」なのだからわたしに責任は無い。(笑 
ともあれ、一切の仏教の全体を把握を試み新しい「五教十宗」の教判をされたのは、華厳宗第三祖の賢首大師法蔵(644年 - 712年)であった。

  1. ① 我法倶有宗
  2. ② 法有我無宗
  3. ③ 法無去来宗
  4. ④ 現通仮実宗
  5. ⑤ 俗妄真実宗
  6. ⑥ 諸法但名宗
  7. ⑦ 大乗始教───切皆空宗
  8. ⑧ 終教─────真徳不空宗
  9. ⑨ 頓教─────相想倶絶宗
  10. ⑩ 円教─────円明具徳宗
hwiki:華厳教の五教十宗判

ところで、御開山は龍樹菩薩の空の論理は使われておられない。それは龍樹菩薩の『十住毘婆沙論』の易行品の易行を引文されるのが主であることからも判る。

 仏法に無量の門あり。世間の道に難あり易あり。陸道の歩行はすなはち苦しく、水道の乗船はすなはち楽しきがごとし。菩薩の道もまたかくのごとし。あるいは勤行精進のものあり、あるいは信方便易行をもつて疾く阿惟越致に至るものあり。(十住毘婆沙論 P.5)

とされ、大乗の菩薩道(大乗仏教では出家・在家、男女を問わず「さとりをもとめて修行する者の 願作仏心」の意)を示されたのが信方便易行の道であろう。

御開山は空の論理ではなく、法然聖人の示して下さった穢土浄土の二元論の上で仏教を解釈されので空の論理は用いておられない。 御開山は、龍樹の『十住毘婆沙論』の四品九文を引かれるのだが、以下に御開山の引文を挙げてみる。

龍樹菩薩関係の引文。

行巻

①『論の註』(上 四七)にいはく、「つつしんで龍樹菩薩の『十住毘婆沙』を案ずるにいはく (行巻 P.154)

行巻

② 帰命はこれ礼拝なりとは。龍樹菩薩、阿弥陀如来の『讃』(易行品)を造れるなかに、(行巻 P.156)

行巻

③ ここをもつて龍樹大士は「即時入必定」(易行品 一六)といへり。(行巻 P.187)

証巻

④ 龍樹菩薩・婆藪槃頭菩薩(天親)の輩、かしこに生ぜんと願ずるは、まさにこのためなるべしならくのみと。(証巻 P.315)

真巻

⑤ 問うていはく、法蔵菩薩の本願(第十四願)、および龍樹菩薩の所讃(易行品)を尋ぬるに、みなかの国に声聞衆多なるをもつて奇とするに似たり。 (真巻 P.359)

真巻

⑥ 本師龍樹摩訶薩、形を像始に誕じて、頽綱(頽の字、崩なり、破なり、落なり、纏るなり)を理る。 ([[真巻#363|真巻 P.363])

文類聚鈔

⑦ 龍樹菩薩、(『十住毘婆沙論』(易行品 六)にいはく、「もし人、疾く不退転地を得んと欲はば、恭敬の心をもつて、執持して名号を称すべし。(浄文 P.479)

文類聚鈔

⑧ 龍樹菩薩、世に興出して、ことごとくよく有無の見を摧破せん。(浄文 P.486)

愚禿鈔

⑨ 龍樹大士『十住毘婆沙論』(易行品 一六)にいはく、「即時入必定」となり。(愚禿下 P.538)

尊号真像銘文

⑩ 「成等覚」といふは正定聚の位なり。この位を龍樹菩薩は「即時入必定」(易行品)とのたまへり (尊号 P.671)

尊号真像銘文

⑪ 『十住毘婆沙論』曰「人能念是仏 無量力功徳 即時入必定 是故我常念 若人願作仏 心念阿弥陀 応時為現身 是故我帰命」(易行品 一六)(易行品 一七)[文](尊号 P.650)

尊号真像銘文

⑫ 「是故我帰命」といふは、龍樹菩薩のつねに阿弥陀如来を帰命したてまつるとなり。(尊号 P.650)

弥陀如来名号徳

⑬ 龍樹菩薩は「我説彼尊功徳事 衆善無辺如海水」(十二礼)とをしへたまへり。(名号 P.730)

と、空の論理は使われておられない。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ


 仏教を学び始めると最初にハマるのが龍樹菩薩の空の論理である。ほとんどの人はこの魅力的な空の論理の罠に堕ちて、脳内思考で空観を論じるだけで空性の実践面ではゼロである。こういふ輩はスリッパで脳天を張り倒して

私の 煩悩と 仏のさとりは  本来一つゆえ
 「そのまま 救う」が 弥陀のよび声

と空を説けば許してもらえるだろう。なんせ「空」なのだからわたしに責任は無い。(笑 
ともあれ、一切の仏教の全体を把握を試み新しい「五教十宗」の教判をされたのは、華厳宗第三祖の賢首大師法蔵(644年 - 712年)であった。

  1. ① 我法倶有宗
  2. ② 法有我無宗
  3. ③ 法無去来宗
  4. ④ 現通仮実宗
  5. ⑤ 俗妄真実宗
  6. ⑥ 諸法但名宗
  7. ⑦ 大乗始教───切皆空宗
  8. ⑧ 終教─────真徳不空宗
  9. ⑨ 頓教─────相想倶絶宗
  10. ⑩ 円教─────円明具徳宗
hwiki:華厳教の五教十宗判

ところで、御開山は龍樹菩薩の空の論理は使われておられない。それは龍樹菩薩の『十住毘婆沙論』の易行品の易行を引文されるのが主であることからも判る。

 仏法に無量の門あり。世間の道に難あり易あり。陸道の歩行はすなはち苦しく、水道の乗船はすなはち楽しきがごとし。菩薩の道もまたかくのごとし。あるいは勤行精進のものあり、あるいは信方便易行をもつて疾く阿惟越致に至るものあり。(十住毘婆沙論 P.5)

とされ、大乗の菩薩道(大乗仏教では出家・在家、男女を問わず「さとりをもとめて修行する者の 願作仏心」の意)を示されたのが信方便易行の道であろう。

御開山は空の論理ではなく、法然聖人の示して下さった穢土浄土の二元論の上で仏教を解釈されので空の論理は用いておられない。 御開山は、龍樹の『十住毘婆沙論』の四品九文を引かれるのだが、以下に御開山の引文を挙げてみる。

龍樹菩薩関係の引文。

行巻

①『論の註』(上 四七)にいはく、「つつしんで龍樹菩薩の『十住毘婆沙』を案ずるにいはく (行巻 P.154)

行巻

② 帰命はこれ礼拝なりとは。龍樹菩薩、阿弥陀如来の『讃』(易行品)を造れるなかに、(行巻 P.156)

行巻

③ ここをもつて龍樹大士は「即時入必定」(易行品 一六)といへり。(行巻 P.187)

証巻

④ 龍樹菩薩・婆藪槃頭菩薩(天親)の輩、かしこに生ぜんと願ずるは、まさにこのためなるべしならくのみと。(証巻 P.315)

真巻

⑤ 問うていはく、法蔵菩薩の本願(第十四願)、および龍樹菩薩の所讃(易行品)を尋ぬるに、みなかの国に声聞衆多なるをもつて奇とするに似たり。 (真巻 P.359)

真巻

⑥ 本師龍樹摩訶薩、形を像始に誕じて、頽綱(頽の字、崩なり、破なり、落なり、纏るなり)を理る。 ([[真巻#363|真巻 P.363])

文類聚鈔

⑦ 龍樹菩薩、(『十住毘婆沙論』(易行品 六)にいはく、「もし人、疾く不退転地を得んと欲はば、恭敬の心をもつて、執持して名号を称すべし。(浄文 P.479)

文類聚鈔

⑧ 龍樹菩薩、世に興出して、ことごとくよく有無の見を摧破せん。(浄文 P.486)

愚禿鈔

⑨ 龍樹大士『十住毘婆沙論』(易行品 一六)にいはく、「即時入必定」となり。(愚禿下 P.538)

尊号真像銘文

⑩ 「成等覚」といふは正定聚の位なり。この位を龍樹菩薩は「即時入必定」(易行品)とのたまへり (尊号 P.671)

尊号真像銘文

⑪ 『十住毘婆沙論』曰「人能念是仏 無量力功徳 即時入必定 是故我常念 若人願作仏 心念阿弥陀 応時為現身 是故我帰命」(易行品 一六)(易行品 一七)[文](尊号 P.650)

尊号真像銘文

⑫ 「是故我帰命」といふは、龍樹菩薩のつねに阿弥陀如来を帰命したてまつるとなり。(尊号 P.650)

弥陀如来名号徳

⑬ 龍樹菩薩は「我説彼尊功徳事 衆善無辺如海水」(十二礼)とをしへたまへり。(名号 P.730)

と、空の論理は使われておられない。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

  1. 真空妙有(しんくうみょうう)。真如があらゆる妄想を離れて空であるところから真空といい、常住不変であって仮有ではなく真実の有であるところから妙有といわれる。また真の空が現実世界の種々の妙なる姿を展開することをいう。 コトバンク