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である「観仏本願力 遇無空過者 能令速満足 功徳大宝海 (仏の本願力を観ずるに、遇ひて空しく過ぐるものなし。よくすみやかに功徳の大宝海を満足せしむ)」という阿弥陀如来の本願力成就を示す文であった。
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御開山は本願力に出あって、空過(むなしく過ぎる)の人生が仏果を得る功徳の人生に転換されたことを慶ばれて、<br />
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:本願力にあひぬれば
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: むなしくすぐるひとぞなき
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: 功徳の宝海みちみちて
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:→[[観仏本願力…]]
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:→[[成就]]
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2024年7月3日 (水) 10:44時点における最新版

ふこさ-じゅうじくどく

 仏のはたらきは真実にしてすべてのものを保持するものであることを明かす。 (浄土論 P.36)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

◆ 参照読み込み (transclusion) トーク:不虚作住持功徳

ふこさ-じゅうじ-くどく 不虚作住持功徳

 二十九種荘厳の中、仏荘厳の第八。すべてのものを仏道から退転させることのない阿弥陀仏の真実なるはたらきのこと。曇鸞大師は『論註』において、

不虚作住持功徳成就とは、けだしこれ阿弥陀如来の本願力なり」 (行巻引文・註 198)、
「いふところの不虚作住持は、もと法蔵菩薩四十八願と、今日阿弥陀如来自在神力とによる。願もつて力を成ず、力もつて願に就(つ)く。願徒然ならず、力虚設ならず。力願あひ符(かな)うて、畢竟じて差(たが)はず。ゆゑに成就といふ」(行巻引文・註 198)

などと述べて、阿弥陀仏の本願力は、願いとその願いにもとづくはたらきとが一致したところに成就されていることを明かしている。(浄土真宗辞典)

「成就」とは「願もつて力をず、力もつて願に()く」と、願と力用(はたらき)が一体しての成就を本願力成就といふ。

論註』には『浄土論』の、

なんとなれば荘厳(しょうごん)不虚作(ふこさ)住持(じゅうじ)功徳成就(くどくじようじゅ)とは、に「観仏本願力 遇無空過者 能令速満足 功徳大宝海」といへるがゆゑなり。 (浄土論 P.37

の「不虚作住持功徳成就」を釈して、

 「不虚作住持功徳成就」とは、けだしこれ阿弥陀如来本願力なり。
いままさに略して虚作の相の住持することあたはざるを示して、もつてかの不虚作住持の義を顕すべし。

{中略 虚作の二例を引く}

いふところの「不虚作住持」とは、本(もと)法蔵菩薩四十八願と、今日の阿弥陀如来自在神力とによるなり。願もつて力を成(じょう)ず、力もつて願に就(つ)く。願徒然ならず、力虚設ならず。力・願あひ符(かな)ひて畢竟じて差(たが)はざるがゆゑに「成就」といふ。(論註 P.131)

とあり、行巻 P.197真巻 P.361でこの文を引文されておられた。
それは『浄土論』の、

観仏本願力(かんぶつ-ほんがんりき) 遇無空過者(ぐうむ-くうかしゃ) 能令速満足(のうりょう-そくまんぞく) 功徳大宝海(くどく-だいほうかい)
(仏の本願力を観ずるに、遇(もうお)ひて空しく過ぐるものなし。よくすみやかに功徳の大宝海を満足せしむ)」

という阿弥陀如来の本願力成就を示す文であった。 御開山は本願力に出遇(あ)って、空過(むなしく過ぎる)の人生が仏果を得る功徳の人生に転換されたことを慶ばれて、
(13)

本願力にあひぬれば
 むなしくすぐるひとぞなき
 功徳の宝海みちみちて
 煩悩の濁水へだてなし (高僧 P.580)

と和讃されておられた。

観仏本願力…
成就