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天台宗で、現象的世界の一々がそのまま本来的にありとあらゆるものごとをすべて<kana>具(そな)</kana>えていることをいい、本具、理具、体具などともいう。[[JWP:知礼|知礼]]は十不二指要鈔巻下に、他宗(華厳宗)は[[真如]]から縁によって現象的世界が現われたとする[[性起]]は説いても性具は説かず、天台宗のみ性具を説くといっている。(仏教学辞典)
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天台大師智顗の中心の教えの一つ。われわれはこの世界を実在するものと単純に解したり、逆に実有(じつう)ならざるものと解することもある。その解し方は無数であるが、実はその無数の了解の仕方に応じて、われわれの善悪さまざまのあり方が現出してくる。自らの認識の仕方に従って、いろいろのあり方をとりえて、しかも現に具体的にあるものとして生きているという衆生(しゅじょう)のあり方の構造を、衆生の心のなかにもともと「具(そな)」わっているもの(=心具)と見て取って立言されたのが、性具説である。[新田雅章](コトバンクより引用)
 
天台大師智顗の中心の教えの一つ。われわれはこの世界を実在するものと単純に解したり、逆に実有(じつう)ならざるものと解することもある。その解し方は無数であるが、実はその無数の了解の仕方に応じて、われわれの善悪さまざまのあり方が現出してくる。自らの認識の仕方に従って、いろいろのあり方をとりえて、しかも現に具体的にあるものとして生きているという衆生(しゅじょう)のあり方の構造を、衆生の心のなかにもともと「具(そな)」わっているもの(=心具)と見て取って立言されたのが、性具説である。[新田雅章](コトバンクより引用)
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仏教用語。華厳教学で用いられる。性起に対する語。あらゆる現象は真実の本性に従って現れながらも,個々の性質をそのままそなえ,しかも互いに混乱しないという考え。
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仏教用語。華厳教学で用いられる。[[性起]]に対する語。あらゆる現象は真実の本性に従って現れながらも,個々の性質をそのままそなえ,しかも互いに混乱しないという考え。
  
 
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2022年2月12日 (土) 13:05時点における最新版

しょうぐ

しょうぐ 性具

天台宗で、現象的世界の一々がそのまま本来的にありとあらゆるものごとをすべて(そな)えていることをいい、本具、理具、体具などともいう。知礼は十不二指要鈔巻下に、他宗(華厳宗)は真如から縁によって現象的世界が現われたとする性起は説いても性具は説かず、天台宗のみ性具を説くといっている。(仏教学辞典)

天台大師智顗の中心の教えの一つ。われわれはこの世界を実在するものと単純に解したり、逆に実有(じつう)ならざるものと解することもある。その解し方は無数であるが、実はその無数の了解の仕方に応じて、われわれの善悪さまざまのあり方が現出してくる。自らの認識の仕方に従って、いろいろのあり方をとりえて、しかも現に具体的にあるものとして生きているという衆生(しゅじょう)のあり方の構造を、衆生の心のなかにもともと「具(そな)」わっているもの(=心具)と見て取って立言されたのが、性具説である。[新田雅章](コトバンクより引用)

十界互具

仏教用語。華厳教学で用いられる。性起に対する語。あらゆる現象は真実の本性に従って現れながらも,個々の性質をそのままそなえ,しかも互いに混乱しないという考え。