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「彼土得証/此土入聖」の版間の差分

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:浄土に往生して彼の土において証果を得ること。彼土入証。
 
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:現世において此の土で聖者のさとりを開くこと。此土入聖得果。
 
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法然聖人は『西方指南鈔』所収の「浄土宗大意」で、
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:聖道門の修行は、智慧をきわめて生死をはなれ、浄土門の修行は、愚痴にかへりて極楽にむまる。 ([[hwiki:西方指南抄/下本#P--219|浄土宗大意P.219]])
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:聖道門の修行は、智慧をきわめて生死をはなれ、浄土門の修行は、愚痴にかへりて極楽にむまる。 ([[西方指南抄#P--1026|浄土宗大意P.1026]])
 
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: 安養浄刹にして入聖証果するを'''浄土門'''と名づく、易行道といへり。この門のなかについて、横出・横超、仮・真、漸・頓、助正・雑行、雑修・専修あるなり。 ([[化巻本#聖浄二門釈|化巻 P.394]])
 
: 安養浄刹にして入聖証果するを'''浄土門'''と名づく、易行道といへり。この門のなかについて、横出・横超、仮・真、漸・頓、助正・雑行、雑修・専修あるなり。 ([[化巻本#聖浄二門釈|化巻 P.394]])
 
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と、され「聖道門」は、自力によって此土において聖者の位に入って証果を得る教え(此土入聖)であり、「浄土門」は、他力によって浄土に往生し、彼土においてさとりを開く教え(彼土得証)であると明かされた。
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と、され「聖道門」は、自力によって此土において聖者の位に入って証果を得る教え(此土入聖)であり、「浄土門」は、他力によって浄土に往生し、彼土においてさとりを開く教え(彼土得証)であると明かされた。<br />
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:しかれば如来の真説、宗師の釈義、あきらかに知んぬ、安養浄刹は真の報土なることを顕す。惑染の衆生、ここにして性を見ることあたはず、煩悩に覆はるるがゆゑに。([[真巻#no37|真巻 P.371]])
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と、煩悩に覆われているがゆえに、此土でさとりを得ることは不可能であるとされた。
  
 
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2024年7月27日 (土) 22:38時点における最新版

ひど-とくしょう/しど-にっしょう

彼土得証(ひど-とくしょう)

浄土に往生して彼の土において証果を得ること。彼土入証。

此土入聖(しど-にっしょう)

現世において此の土で聖者のさとりを開くこと。此土入聖得果。

法然聖人は『西方指南抄』所収の「浄土宗大意」で、

聖道門の修行は、智慧をきわめて生死をはなれ、浄土門の修行は、愚痴にかへりて極楽にむまる。 (浄土宗大意P.1026)

といわれていた。
御開山は「聖浄二門釈」で、

聖道門の意義

 おほよそ一代の教について、この界のうちにして入聖得果するを聖道門と名づく、難行道といへり。この門のなかについて、大・小、漸・頓、一乗・二乗・三乗、権・実、顕・密、竪出・竪超あり。すなはちこれ自力、利他教化地、方便権門の道路なり。

浄土門の意義

 安養浄刹にして入聖証果するを浄土門と名づく、易行道といへり。この門のなかについて、横出・横超、仮・真、漸・頓、助正・雑行、雑修・専修あるなり。 (化巻 P.394)

と、され「聖道門」は、自力によって此土において聖者の位に入って証果を得る教え(此土入聖)であり、「浄土門」は、他力によって浄土に往生し、彼土においてさとりを開く教え(彼土得証)であると明かされた。
そして、

しかれば如来の真説、宗師の釈義、あきらかに知んぬ、安養浄刹は真の報土なることを顕す。惑染の衆生、ここにして性を見ることあたはず、煩悩に覆はるるがゆゑに。(真巻 P.371)

と、煩悩に覆われているがゆえに、此土でさとりを得ることは不可能であるとされた。

浄土門
聖道門
二双四重