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ぞうじょうえん
 
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 浄土往生を得させる阿弥陀仏のすぐれた力。 →[[補註9]] ([[観経疏 玄義分 (七祖)#P--301|玄義分 P.301]]、[[浄土論註 (七祖)#P--64|論註P.64]]、[[安楽集 (七祖)#P--235|安楽集 P.235]])
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Ⅰ 縁となって果を引き起こす強いはたらき。また因が果となることをさまたげないこと。→[[四縁]]
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Ⅱ {{DotUL|浄土往生を得させる阿弥陀仏のすぐれた力}}。 →[[七祖-補註9]] ([[観経疏 玄義分 (七祖)#P--301|玄義分 P.301]]、[[浄土論註 (七祖)#P--64|論註P.64]]、[[安楽集 (七祖)#P--235|安楽集 P.235]])
  
 
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増上縁には、有力増上縁(他のものが生ずるのに積極的に力を与える因)と、無力増上縁(他のものが生ずるのを妨げない消極的な因)の二種がある。親鸞聖人は、増上縁を有力増上縁でみられる。
 
  
[[四縁]]を参照。
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2019年11月26日 (火) 23:09時点における最新版

ぞうじょうえん

Ⅰ 縁となって果を引き起こす強いはたらき。また因が果となることをさまたげないこと。→四縁

Ⅱ 浄土往生を得させる阿弥陀仏のすぐれた力。 →七祖-補註9 (玄義分 P.301論註P.64安楽集 P.235)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

◆ 参照読み込み (transclusion) トーク:増上縁

御開山は『和讃』で、

仏法力の不思議には
 諸邪業繋さはらねば
 弥陀の本弘誓願を
 増上縁となづけたり (高僧 P.590)

とされておられるように、増上縁四縁のうちの増上縁ではなく仏果を得させる阿弥陀仏の最上最勝の力(本願力)とみておられた。

『観経疏』玄義分に、

しかも娑婆の化主(釈尊)はその請によるがゆゑにすなはち広く浄土の要門を開き、安楽の能人(阿弥陀仏)は別意の弘願を顕彰したまふ。その要門とはすなはちこの『観経』の定散二門これなり。「定」はすなはち慮(おもんぱか)りを息(や)めてもつて心を凝らす。「散」はすなはち悪を廃してもつて善を修す。この二行を回して往生を求願す。
弘願といふは『大経』に説きたまふがごとし。一切善悪の凡夫生ずることを得るものは、みな阿弥陀仏の大願業力に乗じて増上縁となさざるはなし」(玄義分 P.300)とある。

この要門弘願の関係を、鎮西派の良忠上人は『淨土宗要集』(浄全一一・八頁)で,

第四、問、何名要門弘願耶 答、要門者定散二善 即往生之行因也。故文云 迴斯二行。弘願者 彌陀本願即往生之勝縁也。故文云 爲增上縁。是則因縁和合 得往生果也。
第四。問う、何ぞ要門・弘願と名づくや。答う、要門は定散二善、即ち往生の行因也。故に文に斯の二行を迴してと云ふ、弘願は彌陀の本願、即ち往生の勝縁也。故に文に増上縁と為すと云ふ。是れ則ち因縁和合して往生の果を得るなり。

と、されている。要門と弘願は、因と縁の関係にあり、要門(因)と弘願(縁)があいまって往生の(果)を得るとされている。これは四縁中の増上縁を仏果を引く優れた縁と解釈し、定・散の二行を回向して阿弥陀仏大願業力に乗ずるのだとされていた。

しかし、法然聖人は『西方指南抄』所収の「十七条御法語」で、

予(われ)ごときは、さきの要門にたえず、よてひとへに弘願を(たのむ)也と云り。→「十七条御法語」

と、「玄義分」で示される「要門」と「弘願」は別の法門 (法義体系) であるとみられた。これによって『観経』には「観仏三昧と念仏三昧の一経両宗」(選択集 P.1270)をみられたのである。そして「散善義」名号付属釈の「仏の本願に望むるに、意、衆生をして一向にもつぱら弥陀仏の名を称せしむるにあり」(散善義 P.500)という文によって『観経』は「念仏三昧」を説く経典であるとせられた。「大願業力に乗じて」の語に『大経』の第十八願 (念仏往生の願) の意をみられたのであった。増上縁とは阿弥陀仏の大願業力を示す語(ことば)であった。

御開山は、この法然聖人の意を承けられて『観経』には隠顕が説かれているとみられ、顕の義では要門 (定散) が説かれ、隠の義には弘願 (第十八願) が示されているとされた。御開山は

「それ真実の教を顕さば、すなはち『大無量寿経』これなり」(教巻 P.135)

と『大経』に拠るからである。
そして、法然聖人の示された三経一論(浄土三部経と『浄土論』)(選択本願念仏集(P.1187) の指示に拠って、『浄土論』『論註』で説かれる「本願力回向」の指南によって「誓願一仏乗」の本願力回向の宗義を開顕されたのであった。