操作

「釈迦牟尼仏」の版間の差分

提供: WikiArc

 
5行目: 5行目:
 
{{Copyright}}
 
{{Copyright}}
 
----
 
----
 +
 +
{{Tinc|JDS:釈尊}}
 +
 
[[Category:巻末註]]
 
[[Category:巻末註]]

2022年12月7日 (水) 22:58時点における最新版

しゃかむにぶつ

 釋迦牟尼仏 梵語シャーキヤムニ・ブッダ(Śākyamuni-buddha)の音写。釈迦は種族の名、牟尼は聖者(しょうじゃ)、釈迦族の聖者の意。釈尊ともいう。仏教の開祖。約二千五百年前、インドのカピラヴァストゥの王、浄飯を父とし、摩耶夫人を母として誕生した。二十九歳の時、道を求めて出家し、多くの師を歴訪したが満足せず、尼連禅河のほとりの山林で六年間にわたり苦行した。三十五歳の時、のちにブッダガヤー(Buddhagayā)と呼ばれる地の菩提樹の下に座って瞑想し、ついにさとりを開いた。成道後、梵天の勧請によって伝道を決意し、鹿野苑(現在のヴァーラーナシ〈ベナレス〉郊外)に赴いて五比丘に初めて説法(初転法輪(しょてんぽうりん))をした。以後四十五年間各地を巡って多くの人々を教化し、八十歳の時、クシナガラの沙羅樹のもとに身を横たえて入滅した。

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

◆ 参照読み込み (transclusion) JDS:釈尊

しゃくそん/釈尊

紀元前四六三—三八三年頃(生存年代には諸説あり)。仏教の開祖。中インドの北方、ガンジス川流域で活躍した人。Ⓢbhagavān Śākyamuni。釈迦牟尼世尊釈迦釈迦世尊釈迦牟尼などともいう。浄飯王(シュッドーダナⓈŚuddhodanaⓅSuddhodana)と摩耶夫人(マーヤーⓈⓅMāyā)の長子。幼名は悉達多(シッダールタⓈSiddhārthaⓅSiddhattha)、姓を瞿曇くどん(ガウタマⓈGautamaⓅGotama)という。釈迦牟尼は、釈迦族(ⓈŚākyaⓅSakkaⓅSakya)の聖者(muni)の意味で、世尊(bhagavat)は尊い人を表す。前四六三年頃ルンビニーで生まれ、カピラヴァスツの太子として育てられる。一六歳頃に耶輸陀羅(ヤショーダラーⓈYaśodharāⓅYasodharā)と結婚し、羅睺羅(ラーフラⓈⓅRāhula)が生まれる。なお、妻の名をバッダロッチャーやゴーパーとする経典もある。シッダールタは二九歳で出家し、三五歳で覚りを開き仏陀となり、その後、四五年間にわたり伝道の旅を続け、八〇歳で入滅した。釈尊が三五歳で開いた覚りと、その後伝道の旅で残した様々な教えが仏教の礎となり、さらに後世には、仏塔などを通して釈尊そのものへの信仰が発展し、仏教の教理は多様化していった。このような流れの中で、紀元前後には大乗仏教が興起し、大乗経典の編纂が始まったと考えられている。大乗仏教の編纂者たちは、経典の冒頭をそれまでの阿含経典と同様に「如是我聞」とし、経典の説示者を釈尊とした。これが、大乗非仏説論争を巻き起こすことになるが、インド国内をはじめ中国・日本・チベットでは多くの大乗経典を釈尊の直説として受容し、それぞれの教理を発展させた。このような中で、大乗仏教の一つである浄土教における釈尊の役割は、浄土三部経の説示にあり、衆生西方極楽浄土へ向かわせる点にある。すなわち善導が『観経疏』玄義分において「仰ぎおもんみれば、釈迦はこの方より発遣し、弥陀はすなわちかの国より来迎したまう」(聖典二・一六三/浄全二・二上)といい、『同』散善義の二河白道の説示において「仰いで釈迦発遣して西方に指向せしむる」(同二九九/同六〇下)というように、釈尊は、衆生をこの娑婆世界から西方極楽浄土に向かわせる仏であり、極楽世界から衆生を迎える阿弥陀仏と共に二尊とされる。浄土の教えはこの二尊によるものであり、玄義分冒頭に「今、二尊の教に乗じて、広く浄土の門を開かん」(聖典二・一六一/浄全二・一下)というのも、これを明かしたものであろう。法然はこのような善導の立場を継承しつつ『選択集』一六において、八種選択のうち「讃歎と留教と付属と、この三はこれ釈迦選択なり」(聖典三・一八四~五/昭法全三四七)と述べ、阿弥陀仏や諸仏と同様に、釈尊もまた念仏の教えを選択していることを示している。このように浄土教、さらには念仏往生の教えが、釈尊の教法であることは、善導から法然に至る系譜の中で、理論的に確立され、浄土宗の基盤となっている。


【参考】中村元『ゴータマ・ブッダⅠ』(『中村元選集〔決定版〕』一一、春秋社、一九九二)


【参照項目】➡大乗非仏説論争八種選択仏滅


【執筆者:石田一裕】