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「三世諸仏念弥陀三昧成等正覚」の版間の差分

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:仏告跋陀和 菩薩 於是三昧中。将有四事助其歓喜。
 
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::仏、跋陀和に告げたまはく、菩薩この三昧のなかにおいて、まさに四事ありてそれを助けて歓喜せん。  
 
::仏、跋陀和に告げたまはく、菩薩この三昧のなかにおいて、まさに四事ありてそれを助けて歓喜せん。  
過去仏持是三昧。助歓喜自致得阿耨多羅三耶三菩阿惟三仏。其智悉具足。
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:過去仏持是三昧。助歓喜自致得阿耨多羅三耶三菩阿惟三仏。其智悉具足。
 
::過去の仏もこの三昧を持ちて、助けて歓喜せしめて自から阿耨多羅三耶三菩阿惟三仏に致ることを得て、その智ことごとく具足したまえり。  
 
::過去の仏もこの三昧を持ちて、助けて歓喜せしめて自から阿耨多羅三耶三菩阿惟三仏に致ることを得て、その智ことごとく具足したまえり。  
 
:今現在十方無央数仏。亦於是三昧中。四事助歓喜得。
 
:今現在十方無央数仏。亦於是三昧中。四事助歓喜得。
 
::今現在十方の無央数の仏もまたこの三昧において、四事を助 けて歓喜を得たまへり。  
 
::今現在十方の無央数の仏もまたこの三昧において、四事を助 けて歓喜を得たまへり。  
 
:当来亦当従是四事助歓喜得。我悉助歓喜。
 
:当来亦当従是四事助歓喜得。我悉助歓喜。
::当来もまたこの四事により助けて歓喜せしむことを得。我ことごとく助けて歓喜せしむ。  
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::当来もまたこの四事により助けて歓喜せしむことを得。我ことごとく助けて歓喜せしむ。 ([[仏説般舟三昧経#勧助品第七|勧助品第七]])
 
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この『般舟三昧経』の文を善導大師は『観念法門』で以下のように取意して引用された。
 
この『般舟三昧経』の文を善導大師は『観念法門』で以下のように取意して引用された。
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::現在十方の諸仏もまたこの念仏三昧を持ちて、四事をもつて助けて歓喜せしめてみな作仏を得たまへり。
 
::現在十方の諸仏もまたこの念仏三昧を持ちて、四事をもつて助けて歓喜せしめてみな作仏を得たまへり。
 
:未来諸仏 亦持是【'''念仏三昧'''】 四事助歓喜 皆得作仏<br />
 
:未来諸仏 亦持是【'''念仏三昧'''】 四事助歓喜 皆得作仏<br />
::未来の諸仏もまたこの念仏三昧を持 ちて、四事をもつて助けて歓喜せしめてみな作仏を得たまふ。
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::未来の諸仏もまたこの念仏三昧を持 ちて、四事をもつて助けて歓喜せしめてみな作仏を得たまふ。 ([[観念法門 (七祖)#P--641|観念法門 P.641]])
 
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上記のように善導大師は『観念法門』で『般舟三昧経』を取意され、持是三昧を念仏三昧であるとされ「持是【念阿弥陀仏】三昧」と云われた。過去・現在・未来の諸仏は、弥陀念仏三昧に住すというのである。
 
上記のように善導大師は『観念法門』で『般舟三昧経』を取意され、持是三昧を念仏三昧であるとされ「持是【念阿弥陀仏】三昧」と云われた。過去・現在・未来の諸仏は、弥陀念仏三昧に住すというのである。
  
これを承けた幸西大徳が、『玄義分鈔』で『観経』の三世諸仏浄業正因の意を表す為に『観念法門』から「般舟三昧経には三世諸仏持是念阿弥陀仏三昧 皆得成仏と云えり」と取意され弥陀本仏論を展開された。
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これを承けた[[幸西|幸西大徳]]が、『玄義分鈔』で『観経』の三世諸仏[[浄業の正因|浄業正因]]の意を表す為に『観念法門』から「般舟三昧経には三世諸仏持是念阿弥陀仏三昧 皆得成仏と云えり」と取意され弥陀本仏論を展開された。
  
この説を受けた覚如上人が、<br>
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この説を受けた覚如上人は、<br>
また『般舟経』にのたまはく、「三世諸仏念弥陀三昧成等正覚」とも説けり。<br>
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:また『般舟経』にのたまはく、「三世諸仏念弥陀三昧成等正覚」とも説けり。([[口伝鈔#P--899|口伝鈔 P.899]])
 
と仰ったのである。
 
と仰ったのである。
  
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と、『般舟経』(実際は観念法門取意の幸西大徳説)、「三世諸仏念弥陀三昧成等正覚」ともに(取意)となっている。
 
と、『般舟経』(実際は観念法門取意の幸西大徳説)、「三世諸仏念弥陀三昧成等正覚」ともに(取意)となっている。
 
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一部にはこの文を指して覚如上人の引用誤りなどと言う輩もいるようだが、『観念法門』すら読んだことがないからであろう。
 
  
 
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2018年9月28日 (金) 21:37時点における最新版

『般舟三昧経』(一巻本)

勧助品第七

仏告跋陀和 菩薩 於是三昧中。将有四事助其歓喜。
仏、跋陀和に告げたまはく、菩薩この三昧のなかにおいて、まさに四事ありてそれを助けて歓喜せん。
過去仏持是三昧。助歓喜自致得阿耨多羅三耶三菩阿惟三仏。其智悉具足。
過去の仏もこの三昧を持ちて、助けて歓喜せしめて自から阿耨多羅三耶三菩阿惟三仏に致ることを得て、その智ことごとく具足したまえり。
今現在十方無央数仏。亦於是三昧中。四事助歓喜得。
今現在十方の無央数の仏もまたこの三昧において、四事を助 けて歓喜を得たまへり。
当来亦当従是四事助歓喜得。我悉助歓喜。
当来もまたこの四事により助けて歓喜せしむことを得。我ことごとく助けて歓喜せしむ。 (勧助品第七)

この『般舟三昧経』の文を善導大師は『観念法門』で以下のように取意して引用された。

観念法門

即如般舟三昧経説
すなはち『般舟三昧経』に説きたまふがごとし。
仏告跋陀和 菩薩於是【念仏】三昧中 有四事供養 飲食衣服臥具湯薬 助其歓喜
仏、跋陀和菩薩に告げたまはく。この念仏三昧のなかにおいて、四事の供 養あり。飲食・衣服・臥具・湯薬なり。それを助けて歓喜せしめよ)
過去諸仏 持是【念阿弥陀仏】三昧 四事助歓喜 皆得成仏 
過去の諸仏もこの念阿弥陀仏三昧を持ちて、四事をもつて助けて歓喜せしめてみな成仏 を得たまへり。
現在十方諸仏亦持是【念仏】三昧 四事助歓喜 皆得作仏
現在十方の諸仏もまたこの念仏三昧を持ちて、四事をもつて助けて歓喜せしめてみな作仏を得たまへり。
未来諸仏 亦持是【念仏三昧】 四事助歓喜 皆得作仏
未来の諸仏もまたこの念仏三昧を持 ちて、四事をもつて助けて歓喜せしめてみな作仏を得たまふ。 (観念法門 P.641)

上記のように善導大師は『観念法門』で『般舟三昧経』を取意され、持是三昧を念仏三昧であるとされ「持是【念阿弥陀仏】三昧」と云われた。過去・現在・未来の諸仏は、弥陀念仏三昧に住すというのである。

これを承けた幸西大徳が、『玄義分鈔』で『観経』の三世諸仏浄業正因の意を表す為に『観念法門』から「般舟三昧経には三世諸仏持是念阿弥陀仏三昧 皆得成仏と云えり」と取意され弥陀本仏論を展開された。

この説を受けた覚如上人は、

また『般舟経』にのたまはく、「三世諸仏念弥陀三昧成等正覚」とも説けり。(口伝鈔 P.899)

と仰ったのである。

以上は『玄義分鈔講述』(梯實圓和上)P369~からの取意であるので、詳細は『玄義分鈔講述』を参照されたい。

註釈版では、

また『般舟経』(意)にのたまはく、「三世諸仏念弥陀三昧成等正覚」(意)とも説けり。

と、『般舟経』(実際は観念法門取意の幸西大徳説)、「三世諸仏念弥陀三昧成等正覚」ともに(取意)となっている。