「五種の嘉誉」の版間の差分
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念仏者を誉める五つの称号。『観経』で、釈尊は、 | 念仏者を誉める五つの称号。『観経』で、釈尊は、 | ||
:「もし念仏するものは、まさに知るべし、この人はこれ人中の[[分陀利華]]なり」 ([[観経#P--117|観経 P.117]]) | :「もし念仏するものは、まさに知るべし、この人はこれ人中の[[分陀利華]]なり」 ([[観経#P--117|観経 P.117]]) | ||
と念仏者を[[分陀利華]](白蓮華)に喩えて説かれている。この分陀利華を善導大師が | と念仏者を[[分陀利華]](白蓮華)に喩えて説かれている。この分陀利華を善導大師が | ||
:「分陀利といふは、人中の好華と名づけ、また希有華と名づけ、また人中の上上華と名づけ、また人中の妙好華と名づく。 この華相伝して[[蔡華]]と名づくるこれなり。もし念仏するものは、すなはちこれ人中の好人なり、人中の妙好人なり、人中の上上人なり、人中の希有人なり、人中の最勝人なり。」 ([[観経疏 散善義 (七祖)#五種嘉誉|散善義 P.499]]) | :「分陀利といふは、人中の好華と名づけ、また希有華と名づけ、また人中の上上華と名づけ、また人中の妙好華と名づく。 この華相伝して[[蔡華]]と名づくるこれなり。もし念仏するものは、すなはちこれ人中の好人なり、人中の妙好人なり、人中の上上人なり、人中の希有人なり、人中の最勝人なり。」 ([[観経疏 散善義 (七祖)#五種嘉誉|散善義 P.499]]) | ||
− | と、「好人」「[[妙好人]]」「[[上上人]]」「[[希有人]]」「[[最勝人]]」の五種に分けて念仏者をたたえる語とされ、法然聖人は五種の嘉誉と呼ばれた。<br /> | + | と、「好人」「[[妙好人]]」「[[上上人]]」「[[希有人]]」「[[最勝人]]」の五種に分けて念仏者をたたえる語とされ、法然聖人は五種の嘉誉と呼ばれた。([[選択本願念仏集 (七祖)#P--1261|選択集 P.1261]])<br /> |
近年(江戸後期)に至って、この五種の嘉誉(よく誉める意) の中の「妙好人」という語で篤信者を呼ぶことが多いが、原義では、なんまんだぶを称える念仏者はすべて妙好人である。『観経』は、一見すれば観仏を説く経典のようであるが、その[[流通分]]に至って、 | 近年(江戸後期)に至って、この五種の嘉誉(よく誉める意) の中の「妙好人」という語で篤信者を呼ぶことが多いが、原義では、なんまんだぶを称える念仏者はすべて妙好人である。『観経』は、一見すれば観仏を説く経典のようであるが、その[[流通分]]に至って、 | ||
− | :仏、阿難に告げたまはく、「なんぢ、よくこの語を持て。この語を持てといふは、すなはちこれ無量寿仏の名を持てとなり(汝好持是語 持是語者 即是持無量寿仏名)」。([[観経#P--117|観経 P.117]] | + | :仏、阿難に告げたまはく、「なんぢ、よくこの語を持て。この語を持てといふは、すなはちこれ無量寿仏の名を持てとなり(汝好持是語 持是語者 即是持無量寿仏名)」。([[観経#P--117|観経 P.117]]) |
と、無量寿仏名を持(たも)てとあるからである。この仏名をたもてを、なんまんだぶの称名念仏とされたのであった。 | と、無量寿仏名を持(たも)てとあるからである。この仏名をたもてを、なんまんだぶの称名念仏とされたのであった。 | ||
2018年4月5日 (木) 05:20時点における最新版
ごしゅのかよ
人中の
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
念仏者を誉める五つの称号。『観経』で、釈尊は、
と念仏者を分陀利華(白蓮華)に喩えて説かれている。この分陀利華を善導大師が
- 「分陀利といふは、人中の好華と名づけ、また希有華と名づけ、また人中の上上華と名づけ、また人中の妙好華と名づく。 この華相伝して蔡華と名づくるこれなり。もし念仏するものは、すなはちこれ人中の好人なり、人中の妙好人なり、人中の上上人なり、人中の希有人なり、人中の最勝人なり。」 (散善義 P.499)
と、「好人」「妙好人」「上上人」「希有人」「最勝人」の五種に分けて念仏者をたたえる語とされ、法然聖人は五種の嘉誉と呼ばれた。(選択集 P.1261)
近年(江戸後期)に至って、この五種の嘉誉(よく誉める意) の中の「妙好人」という語で篤信者を呼ぶことが多いが、原義では、なんまんだぶを称える念仏者はすべて妙好人である。『観経』は、一見すれば観仏を説く経典のようであるが、その流通分に至って、
- 仏、阿難に告げたまはく、「なんぢ、よくこの語を持て。この語を持てといふは、すなはちこれ無量寿仏の名を持てとなり(汝好持是語 持是語者 即是持無量寿仏名)」。(観経 P.117)
と、無量寿仏名を持(たも)てとあるからである。この仏名をたもてを、なんまんだぶの称名念仏とされたのであった。