「愚禿」の版間の差分
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− | {{kaisetu|日本の天台宗の開祖である伝教大師最澄( | + | {{kaisetu|日本の天台宗の開祖である伝教大師最澄(767?~822)が、十九歳で比叡山に庵を結んだ時に述したといわれる願文。自らを「愚中極愚 狂中極狂 塵禿有情 底下最澄」と呼び、青年特有の覇気溢れる文章であり、最澄の仏教に対する熱情と矜持が窺える。 |
塵禿有情の禿とは、『涅槃経』では、飢渇の為に生計を営めず出家する者を禿人と指す語である。そして、禿人とは、本物の持戒清浄な本物の比丘を見れば、自らを正当化する為に比丘に迫害を加え、あまつさえ殺しかねない輩であると『涅槃経』はいう。要するに自らは何等の生産手段を持たずに大衆に寄生することによってのみ自らの生を維持していけないことの悲しみの発露が「愚中極愚 狂中極狂」という言葉なのだろう。 | 塵禿有情の禿とは、『涅槃経』では、飢渇の為に生計を営めず出家する者を禿人と指す語である。そして、禿人とは、本物の持戒清浄な本物の比丘を見れば、自らを正当化する為に比丘に迫害を加え、あまつさえ殺しかねない輩であると『涅槃経』はいう。要するに自らは何等の生産手段を持たずに大衆に寄生することによってのみ自らの生を維持していけないことの悲しみの発露が「愚中極愚 狂中極狂」という言葉なのだろう。 | ||
釈尊は「道の人」として生涯定住されることなく、道ばたで自らの生涯を全うされた。御開山もまた自分の寺はおろか晩年の住居すら火災に遭遇し、弟の尋有僧都の里坊である善法坊で生涯を終わられたのである。愚であること、狂のごとく法を求める姿、禿人のごとく意味なく他者に利養される境遇を、'''愚禿'''という自号名と名乗られた御開山であったと思ふ。}} | 釈尊は「道の人」として生涯定住されることなく、道ばたで自らの生涯を全うされた。御開山もまた自分の寺はおろか晩年の住居すら火災に遭遇し、弟の尋有僧都の里坊である善法坊で生涯を終わられたのである。愚であること、狂のごとく法を求める姿、禿人のごとく意味なく他者に利養される境遇を、'''愚禿'''という自号名と名乗られた御開山であったと思ふ。}} | ||
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愚禿を名乗られた根拠と言われる最澄の願文。涅槃経からという説もある。 | 愚禿を名乗られた根拠と言われる最澄の願文。涅槃経からという説もある。 | ||
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2018年4月14日 (土) 05:32時点における最新版
願文
塵禿有情の禿とは、『涅槃経』では、飢渇の為に生計を営めず出家する者を禿人と指す語である。そして、禿人とは、本物の持戒清浄な本物の比丘を見れば、自らを正当化する為に比丘に迫害を加え、あまつさえ殺しかねない輩であると『涅槃経』はいう。要するに自らは何等の生産手段を持たずに大衆に寄生することによってのみ自らの生を維持していけないことの悲しみの発露が「愚中極愚 狂中極狂」という言葉なのだろう。
釈尊は「道の人」として生涯定住されることなく、道ばたで自らの生涯を全うされた。御開山もまた自分の寺はおろか晩年の住居すら火災に遭遇し、弟の尋有僧都の里坊である善法坊で生涯を終わられたのである。愚であること、狂のごとく法を求める姿、禿人のごとく意味なく他者に利養される境遇を、愚禿という自号名と名乗られた御開山であったと思ふ。
悠悠三界。純苦無安也。擾々四生。唯患不楽也。牟尼之日久隠。慈尊月未照。近於三災之危。没於五濁之深。加以。風命難保。露体易消。草堂雖無楽。然老少散曝於白骨。土室雖闇(狭)。而貴賎争宿於魂魄。瞻彼省己。此理必定。
- 悠々たる三界は純(もっぱ)ら苦にして安きこと無く、擾々(じょうじょう)たる四生は唯だ患(うれい)にして楽しからず。牟尼の日久しく隠れて慈尊の月 未だ照さず。三災の危きに近づき、五濁の深きに没む。加以(しかのみなら)ず、風命保ち難く露体消え易し。艸堂(そうどう)楽しみ無しと雖(いえど)も然も老少白骨を散じ曝し、土室闇く狭しと雖も而も貴賎魂魄を争い宿す。彼を瞻(み)、己を省みるに此の理必定せり。
仙丸未服。遊魂難留。命通未得。死辰何定。生時不作善。死日成獄薪。難得易移其人身矣。難発易忘斯善心焉。是以。法皇牟尼。仮大海之針。妙高之線。喩況人身難得。古賢禹王。惜一寸之陰。半寸之暇。歎勧一生空過。無因得果。無有是処。無善免苦。無有是処。
- 仙丸未だ服さざれば遊魂留め難く、命通未だ得ざれば死辰何(いつ)とか定めん。生ける時善を作さずんば死する日 獄の薪と成らん。得難くして移り易きは其れ人身なり。発し難くして忘れ易きは斯れ善心なり。是を以て法皇牟尼は、大海の針・妙高の線(いと)を暇(か)りて人身の得難きを喩況(ゆきょう)し、古賢禹王は、一寸の陰(とき)・半寸の暇(いとま)を惜しみて一生の空しく過ぐるを歎勧(たんかん)せり。因無くして果を得る、是の処(ことわ)り有ること無く、善無くして苦を免るる、是の処り有ること無し。
伏尋思己行迹。無戒窃受四事之労。愚痴亦成四生之怨。是故。未曽有因縁経云。施者生天。受者入獄。提韋女人四事之供。表末利夫人福。貪著利養五衆之果。顕石女担輿罪。明哉善悪因果。誰有慙人。不信此典。然則。知苦因而不畏苦果。釈尊遮闡提。得人身徒不作善業。聖教嘖空手。
- 伏して己が行迹を尋ね思うに、無戒にして窃(ひそ)かに四事の労を受け、愚痴にして亦四生の怨と成る。是の故に、『未曽有因縁経』に云く、「施す者は天に生まれ、受くる者は獄に入る」と。提韋女人の四事の供(そなえ)は末利夫人の福(さいわい)と表れ、貪著利養の五衆の果(はて)は、石女担輿の罪と顕る。明らかなる哉、善悪の因果、誰か有慙の人にして、此の典を信ぜざらん。然れば則ち、苦因を知りて而も苦果を畏れざるを釈尊は闡提と遮したまい、人身を得て徒(いたずら)に善業を作さざるを聖教に空手と嘖めたまう。
於是。愚中極愚。狂中極狂。塵禿有情。底下最澄。上違於諸仏。中背於皇法。下闕於孝礼。 謹随迷狂之心。発三二之願。以無所得而為方便。為無上第一義。発金剛不壊不退心願。
- 是に於いて、愚が中の極愚、狂が中の極狂、塵禿の有情、底下の最澄、上は諸仏に違い、中は皇法に背き、下は孝礼を闕く。
謹随迷狂之心。発三二之願。以無所得而為方便。為無上第一義。発金剛不壊不退心願。
- 謹みて迷狂の心に随い三二の願を発こす。無所得を以て方便と為し、無上第一義の為に金剛不壊不退の心願を発こす。
- 我自未得六根相似位以還不出仮。其一。
- 我れ未だ六根相似の位を得ざるより以還(このかた)出仮せじ。其の一。
- 自未得照理心以還不才芸。其二。
- 未だ理を照らすの心を得ざるより以還才芸あらじ。其の二。
- 自未得具足浄戒以還不預檀主法会。其三。
- 未だ浄戒を具足することを得ざるより以還檀主の法会に預からじ。其の三。
- 自未得般若心以還不著世間人事縁務。除相似位。其四。
- 未だ般若の心を得ざるより以還世間の人事の縁務に著かじ。相似の位を除く。其の四。
- 三際中間。所修功徳。独不受己身。普回施有識。悉皆令得無上菩提。其五。
- 三際の中間に修する所の功徳は独り己が身に受けず、普く有識に回施して悉く皆無上菩提を得せしめん。其の五。
伏願。解脱之味独不飲。安楽之果独不証。法界衆生。同登妙覚。法界衆生。同服妙味。
- 伏して願くば、解脱の味独り飲まず、安楽の果独り証せず。法界の衆生と同じく妙覚に登り法界の衆生と同じく妙味も服せん。
若依此願力。至六根相似位。若得五神通時。必不取自度。不証正位。不著一切。願必所引導今生無作無縁四弘誓願。周旋於法界。遍入於六道。浄仏国土。成就衆生。尽未来際。恒作仏事。
- 若し此の願力に依りて六根相似の位に至り、若し五神通を得ん時は必ず自度を取らず、正位を証せず、一切に著せざらん。願くば、必ず今生無作無縁の四弘誓願に引導せられて、周く法界を旋(めぐ)り、遍く六道に入り、仏国土を浄め、衆生を成就し、未来際を尽くすまで恒に仏事を作さん。
愚禿を名乗られた根拠と言われる最澄の願文。涅槃経からという説もある。 『大般涅槃経』金剛身品