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たいじょしゅほつ
 
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 あごひげや髪をそり落とすこと。([[化巻本#P--422|化巻 P.422]])
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 あごひげや髪をそり落とすこと。([[WD:Daikyo1#P--4|無量寿経 P.4]]|[[化巻本#P--422|化巻 P.422]])
 
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*釈尊は、出家し仏教教団の一員になるためには、俗世間を捨てて仏弟子になる心を表明するために剃髪し袈裟を身に着けることとされた。
 
;僧侶が、肉食・妻帯・蓄髪をしている理由。<br>
 
;僧侶が、肉食・妻帯・蓄髪をしている理由。<br>
  
明治五(一八七二)年四月二十五日、太政官布告第一三三号
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明治五(1872)年四月二十五日、[[JWP:太政官布告|太政官布告]]第一三三号
 
:自今僧侶肉食妻帯蓄髪等可為勝手事 但法用ノ外ハ人民一般ノ服ヲ着用不苦候事。
 
:自今僧侶肉食妻帯蓄髪等可為勝手事 但法用ノ外ハ人民一般ノ服ヲ着用不苦候事。
:→今より僧侶の肉食・妻帯・蓄髪は勝手たるべき事、但し法要の他は人民一般の服を着用しても苦しからず。
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:→今より僧侶の肉食・妻帯・蓄髪は勝手たるべき事、ただ法要の外は、人民一般の服を着用しても苦しからず候ふ事。
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なお、この[[JWP:太政官布告|太政官布告]]は、従来、国が[[JWP:僧尼令|僧尼令]]によって仏教に介入していたことを止めるとの趣旨であり、各宗の宗規もその太政官布告に<kana>則(のっと)</kana>れと命令しているものではなかった。しかし、放埒を常とする僧侶は自宗の宗規よりも太政官布告に喜んで従ったのであろう。<br>
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浄土真宗では在家仏教の宗風であり、戒律を用いない立場なので蓄髪(髪を蓄えること)以外の肉食・妻帯は<kana>自由(じゆ)</kana>(自ずからに由る意)であった。ただ「[[JDS:毛坊主|毛坊主]]」という言葉が示すように、浄土真宗では、髪を剃らず、妻帯して、普段は農業などをしながら葬儀、法要などで僧侶の役をつとめる者もいた。
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浄土真宗では在家仏教の宗風であり、戒律無用の立場なので蓄髪(髪を蓄えること)以外の肉食・妻帯は自由(自ずからに由る意)であった。ただ毛坊主という言葉が示すように、浄土真宗では、髪を剃らず、妻帯して、普段は農業などをしながら葬儀,法要 などで僧侶の役をつとめる者もいた。
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なお、この太政官布告は、従来、国が戒律に介入していたことを止めるとの趣旨であり、各宗の宗規もその太政官布告に則れと命令しているものではないのだだったが、放埒を常とする僧侶は喜んで従ったのであろう。
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2021年9月28日 (火) 16:24時点における最新版

たいじょしゅほつ

 あごひげや髪をそり落とすこと。(無量寿経 P.4|化巻 P.422)  

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

  • 釈尊は、出家し仏教教団の一員になるためには、俗世間を捨てて仏弟子になる心を表明するために剃髪し袈裟を身に着けることとされた。
僧侶が、肉食・妻帯・蓄髪をしている理由。

明治五(1872)年四月二十五日、太政官布告第一三三号

自今僧侶肉食妻帯蓄髪等可為勝手事 但法用ノ外ハ人民一般ノ服ヲ着用不苦候事。
→今より僧侶の肉食・妻帯・蓄髪は勝手たるべき事、ただ法要の外は、人民一般の服を着用しても苦しからず候ふ事。

なお、この太政官布告は、従来、国が僧尼令によって仏教に介入していたことを止めるとの趣旨であり、各宗の宗規もその太政官布告に(のっと)れと命令しているものではなかった。しかし、放埒を常とする僧侶は自宗の宗規よりも太政官布告に喜んで従ったのであろう。
浄土真宗では在家仏教の宗風であり、戒律を用いない立場なので蓄髪(髪を蓄えること)以外の肉食・妻帯は自由(じゆ)(自ずからに由る意)であった。ただ「毛坊主」という言葉が示すように、浄土真宗では、髪を剃らず、妻帯して、普段は農業などをしながら葬儀、法要などで僧侶の役をつとめる者もいた。


◆ 参照読み込み (transclusion) JDS:剃髪

ていはつ/剃髪

髪を剃ること。それから転じて出家すること。剃除鬚髪たいじょしゅほつ剃頭ていず落髪らくはつ落飾らくしょく、かしらおろしなどともいい、また剃髪することを、髪を下ろすともいう。剃除鬚髪ともいわれるように、かみだけでなくひげ(や眉)を剃ることも意味する場合がある。剃髪は、袈裟を身につけることと共に、出家し僧になるために必要なことである。すなわち『雑阿含』二二や『十誦律』三四には、僧とは髪や鬚を剃り、法衣を身につけ、仏に従って出家した者のことであるとする。また釈尊剃髪袈裟を身につけ出家したと伝えられる。『無量寿経』に「珍妙衣を捨てて、法服を著し、鬚髪を剃除す」(聖典一・二一四/浄全一・二)とあるのも、それに由来したものといえよう。古来、出家して僧になるためには、剃髪し、袈裟を身につけ、戒師から戒を授けてもらうことが必要とされる。すなわち『十誦律』二三では、そのような手順で沙弥となることが示され、また『四十八巻伝』三には、「華髪を剃り、法衣を着し、戒壇院にして、大乗戒を受け給いにけり」(聖典六・二一)とあり、法然も同様の手順で出家したことが伝えられている。剃髪は、得度と共に行われることが多く、この二つを合わせて剃度という。戒名を与える際に行われる剃度作法は、この剃髪得度授戒)のことであり、それは本格的に仏道を進むための第一歩である。これが転じ、現在は出家することを得度、在俗のまま仏弟子になることを剃度と呼ぶ。また日本では、平安時代以降、特に皇族や貴族などの高貴な者の中に、剃髪し僧衣を着つつも寺に入らず、在家のまま仏道修行する者もおり、このような者を入道とよんだ。


【参照項目】➡剃度作法得度


【執筆者:石田一裕】