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 究極において無生であるということ。→[[無生]] ([[行巻#P--157|行巻 P.157]]) 
 
 究極において無生であるということ。→[[無生]] ([[行巻#P--157|行巻 P.157]]) 
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 本来生滅変化のなないこと。 ([[浄土論註 (七祖)#P--54|論註P.54]]、[[安楽集 (七祖)#P--228|安楽集 P.228]])
  
 
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不生の縁起。
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ここはややこしいところだから脚注では無理ですね。中論を読みましょう。

2011年7月30日 (土) 14:20時点における最新版

ひっきょうむしょう

 究極において無生であるということ。→無生 (行巻 P.157) 

 本来生滅変化のなないこと。 (論註P.54安楽集 P.228)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

畢竟

不生の縁起。 ここはややこしいところだから脚注では無理ですね。中論を読みましょう。