「諸仏の家」の版間の差分
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極楽浄土のこと。阿弥陀仏の浄土は諸仏のさとりの本源であるから、このようにいう。 ([[観経#P--117|観経 P.117]]) | 極楽浄土のこと。阿弥陀仏の浄土は諸仏のさとりの本源であるから、このようにいう。 ([[観経#P--117|観経 P.117]]) | ||
− | 阿弥陀仏の浄土のこと。 ([[観経疏 散善義 (七祖)#P--500|散善義 P.500]]) | + | 阿弥陀仏の浄土のこと。 ([[観経疏 散善義 (七祖)#P--500|散善義 P.500]]、([[往生要集下巻 (七祖)#P--1082|要集 P.1082]]、[[法事讃 (七祖)#P--533|法事讃 P.533]]) |
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+ | : 『十住毘婆沙論』(入初地品[[ノート:十住毘婆沙論_(七祖)#→行巻引文(13)|*]])にいはく、「ある人のいはく、〈[[般舟三昧]]および[[大悲]]を[[諸仏の家]]と名づく。この二法よりもろもろの如来を生ず〉と。このなかに[[般舟三昧]]を父とす、また[[大悲]]を母とす。また次に[[般舟三昧]]はこれ父なり、[[無生法忍]]はこれ母なり。『[[助菩提]]』のなかに説くがごとし。〈[[般舟三昧]]の父、大悲無生の母、一切のもろもろの如来、この二法より生ず〉と。家に過咎なければ家清浄なり。ゆゑに清浄とは六波羅蜜・四功徳処なり。方便・[[般若波羅蜜]]は善慧なり。[[般舟三昧]]・[[大悲]]・[[諸忍]]、この諸法清浄にして過あることなし。ゆゑに家清浄と名づく。この菩薩、この諸法をもつて家とするがゆゑに、過咎あることなし。世間道を転じて出世上道に入るものなり。世間道をすなはちこれ凡夫所行の道と名づく。[[転じて休息と名づく]]。 | ||
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2023年11月24日 (金) 14:04時点における最新版
しょぶつのいえ
極楽浄土のこと。阿弥陀仏の浄土は諸仏のさとりの本源であるから、このようにいう。 (観経 P.117)
阿弥陀仏の浄土のこと。 (散善義 P.500、(要集 P.1082、法事讃 P.533)
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
- 『十住毘婆沙論』(入初地品*)にいはく、「ある人のいはく、〈般舟三昧および大悲を諸仏の家と名づく。この二法よりもろもろの如来を生ず〉と。このなかに般舟三昧を父とす、また大悲を母とす。また次に般舟三昧はこれ父なり、無生法忍はこれ母なり。『助菩提』のなかに説くがごとし。〈般舟三昧の父、大悲無生の母、一切のもろもろの如来、この二法より生ず〉と。家に過咎なければ家清浄なり。ゆゑに清浄とは六波羅蜜・四功徳処なり。方便・般若波羅蜜は善慧なり。般舟三昧・大悲・諸忍、この諸法清浄にして過あることなし。ゆゑに家清浄と名づく。この菩薩、この諸法をもつて家とするがゆゑに、過咎あることなし。世間道を転じて出世上道に入るものなり。世間道をすなはちこれ凡夫所行の道と名づく。転じて休息と名づく。