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+ | 自ら修めた<kana>[[善根]](ぜんごん)</kana><kana>[[功徳]](くどく)</kana>を、自らのさとりのためにふりむける'''<kana>菩提(ぼだい)</kana>回向'''、他の人々を救うためにふりむける'''<kana>衆生(しゅじょう)</kana>回向'''、[[空]][[真如]]の理にかなっていく'''実際回向'''の三種の回向がある。 | ||
− | + | #浄土真宗では、[[阿弥陀如来]]が、[[本願力]]をもって、その功徳を[[衆生]]にふり向けられることをいい(本願力回向)、その相に[[往相回向]]と[[還相回向]]との二種の回向があるとする。→[[衆生]]、<kana>[[還相回向]](げんそうえこう)</kana>、[[補註12]]。 | |
+ | #死者のためにする追善(追善回向)。 | ||
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+ | 梵語パリナーマ(pariņāma)、あるいはパリナーマナー(pariņāmanā)の意訳。 | ||
+ | 回はめぐらすこと、向はさしむけること、自己の善行の[[功徳]]を自身の[[菩提]]、または他にめぐらしさしむけること。<br /> | ||
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+ | ④ 追善回向のこと。死者のために善事を行うこと追善供養ともいう。なお『歎異抄』第5条には、 | ||
+ | :親鸞は父母の[[孝養]]のためとて、一返にても念仏申したること、いまだ候はず。([[歎異抄#P--834|歎異抄 P.834]]) | ||
+ | といい、追善回向を否定している。<br /> | ||
+ | ⑤ 勤行の最後に唱えられる文のこと。「玄義分」の、 | ||
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+ | ::同じく菩提心を発して 安楽国に往生せん。([[観経疏 玄義分 (七祖)#P--299|玄義分 P.299]]) | ||
+ | が多く用いられる。(浄土真宗辞典) | ||
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+ | 御開山は、仏の救済力の絶対性を強調して願力回向の説を立て、衆生が浄土に[[往生]]すること(→[[往相]])も、往生して仏になり再びこの世に還って[[利他]]のはたらきをすること(→[[還相]])も、ことごとく阿弥陀仏の本願力のはたらきであって、全て仏の方からさしむけられたものであるとする。これをそれぞれ往相回向・還相廻向(→[[二種回向]])という。また他力の念仏は自己の修めた功徳を回向して往生を願う行ではないから、これを[[不回向]]の行という。なお回向を回思向道(他へ向いていた心を浄土の一道に向けかえる)と解することもある。 | ||
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+ | [[Category:巻末註]][[Category:教巻]][[Category:追記]] |
2024年11月7日 (木) 12:18時点における最新版
回向 廻向とも記述
梵語パリナーマナー(pariņāmanā)の漢訳。回はめぐらすこと。向はさしむけること。
自ら修めた
- 浄土真宗では、阿弥陀如来が、本願力をもって、その功徳を衆生にふり向けられることをいい(本願力回向)、その相に往相回向と還相回向との二種の回向があるとする。→衆生、
還相回向 、補註12。 - 死者のためにする追善(追善回向)。
- 五念門の一。→五念門(ごねんもん)。
~ほつがんしん 回向発願心。
→補註12(他力・本願力回向) (教巻 P.135, 行巻 P.141)
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
- →回して
回思向道 (他力)。自力の思いを回(ひるがえ)し捨てて道に向かう。回因向果 (自力)。自力で作った因を回(めぐら)して果に向かう。
という「回…向」の語の二種の義を示しておられた。
回向 えこう
梵語パリナーマ(pariņāma)、あるいはパリナーマナー(pariņāmanā)の意訳。
回はめぐらすこと、向はさしむけること、自己の善行の功徳を自身の菩提、または他にめぐらしさしむけること。
① 浄影寺慧遠は回向を3種に分ける。
- 自ら修めた善根を、自らのさとりのためにふりむける菩提廻向、
- 自ら修めた善根を、他の人々を救うためにふりむける衆生回向、
- 自ら善根を修め空真如の理にかなっていこうとする実際回向の三。
② 浄土真宗では、阿弥陀仏が本願力をもって、その功徳を衆生にふりむけること(他力回向・本願力回向)をいい、往相回向と還相回向との2種の回向があるとする。→二種回向
③ 五念門の一。→五念門。
④ 追善回向のこと。死者のために善事を行うこと追善供養ともいう。なお『歎異抄』第5条には、
といい、追善回向を否定している。
⑤ 勤行の最後に唱えられる文のこと。「玄義分」の、
- 願以此功徳 平等施一切
- 願はくはこの功徳をもつて、平等に一切に施し、
- 同発菩提心 往生安楽国
- 同じく菩提心を発して 安楽国に往生せん。(玄義分 P.299)
が多く用いられる。(浄土真宗辞典)
御開山は、仏の救済力の絶対性を強調して願力回向の説を立て、衆生が浄土に往生すること(→往相)も、往生して仏になり再びこの世に還って利他のはたらきをすること(→還相)も、ことごとく阿弥陀仏の本願力のはたらきであって、全て仏の方からさしむけられたものであるとする。これをそれぞれ往相回向・還相廻向(→二種回向)という。また他力の念仏は自己の修めた功徳を回向して往生を願う行ではないから、これを不回向の行という。なお回向を回思向道(他へ向いていた心を浄土の一道に向けかえる)と解することもある。