操作

「無因と…あらざる」の版間の差分

提供: WikiArc

 
 
(同じ利用者による、間の2版が非表示)
1行目: 1行目:
  
 浄土は清浄(しょうじょう)願心によって成就したのだから無因ではなく、願心以外に因はないから、他因の有でもない。 願心荘厳の正縁起(しょうえんぎ)の世界であることをあらわす。 なお親鸞聖人は 「因なくして他の因のあるにはあらざるなり」 (加点本訓) と読まれた。 ([[浄土論註 (七祖)#P--139|論註 P.139]])
+
 浄土は清浄願心によって成就したのだから無因ではなく、願心以外に因はないから、他因の有でもない。 願心荘厳の<kana>正縁起(しょうえんぎ)</kana>の世界であることをあらわす。 なお親鸞聖人は 「因なくして他の因のあるにはあらざるなり」 (加点本訓) と読まれた。 ([[浄土論註 (七祖)#P--139|論註 P.139]])
  
 
{{Copyright}}
 
{{Copyright}}
 
----
 
----
 +
非無因 他因有也。

2017年11月28日 (火) 16:04時点における最新版

 浄土は清浄願心によって成就したのだから無因ではなく、願心以外に因はないから、他因の有でもない。 願心荘厳の正縁起(しょうえんぎ)の世界であることをあらわす。 なお親鸞聖人は 「因なくして他の因のあるにはあらざるなり」 (加点本訓) と読まれた。 (論註 P.139)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

非無因 他因有也。