「ものうきことなく」の版間の差分
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+ | ::われまたかの摂取のなかにあれども、煩悩、眼を障へて、見たてまつることあたはずといへども、大悲倦むことなくして、つねにわが身を照らしたまふ。([[往生要集中巻 (七祖)#P--956|要集 P.956]])([[信巻本#no17|信巻 P.229]]) | ||
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2019年4月26日 (金) 14:26時点における最新版
Ⅰ 【左訓】「ものうきこと(なし)といふは怠り捨つるこころなしとなり」(異本)(高僧 P.595)
Ⅱ 飽きることなく。ここでは見捨てることなくという意。 (正信大意 P.1037)
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『往生要集』雑略観に、
- 我亦在彼摂取之中 煩悩障眼雖不能見 大悲無惓常照我身。
とある。これを「正信念仏偈」には、
- 極重悪人唯称仏 我亦在彼摂取中
- 煩悩障眼雖不見 大悲無倦常照我
とされ、「和讃」では、
- 煩悩にまなこさへられて
- 摂取の光明みざれども
- 大悲ものうきことなくて
- つねにわが身をてらすなり
と讃詠されていた。