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 正午頃。<kana>示寂(じじゃく)</kana>の時刻を未時(午後二時頃)とする資料もある。 ([[御伝鈔#P--1059|御伝鈔 P.1059]])
 
 正午頃。<kana>示寂(じじゃく)</kana>の時刻を未時(午後二時頃)とする資料もある。 ([[御伝鈔#P--1059|御伝鈔 P.1059]])
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 正午頃。 ([[往生礼讃 (七祖)#P--654|往生礼讃 P.654]])
  
 
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当時、高僧が示寂する時刻は午の時と信じられていた為だろう。
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当時、高僧が示寂する時刻は午の時と信じられていた為だろう。<br />
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『西方指南抄』中本「法然聖人臨終行儀」には、
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:まくらをきたにし、おもてを西にして、ふしなから仏号をとなへて、ねふるかことくして、正月二十五日午時のなからはかりに、往生したまひけり。([[hwiki:西方指南抄/中本#P--141|法然聖人臨終行儀]])

2020年1月12日 (日) 04:57時点における最新版

うまのとき

 正午頃。示寂(じじゃく)の時刻を未時(午後二時頃)とする資料もある。 (御伝鈔 P.1059


ごじ

 正午頃。 (往生礼讃 P.654)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

当時、高僧が示寂する時刻は午の時と信じられていた為だろう。

『西方指南抄』中本「法然聖人臨終行儀」には、

まくらをきたにし、おもてを西にして、ふしなから仏号をとなへて、ねふるかことくして、正月二十五日午時のなからはかりに、往生したまひけり。(法然聖人臨終行儀)