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「願偈総持を説きて」の版間の差分

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がんげそうじをときて
 
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 願偈は『浄土論』の「願生偈」のこと。[[総持]]は親鸞聖人の解釈では「無碍光の智慧」(「銘文」)の意。阿弥陀仏の智慧を「願生偈」として説くということ。  ([[行巻#P--154|行巻 P.154]],[[浄文#P--479|浄文 P.479]])
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 願偈は『浄土論』の「願生偈」のこと。[[総持]]は親鸞聖人の解釈では「<kana>無碍光(むげこう)</kana>の<kana>智慧(ちえ)</kana>」(『銘文』)の意。阿弥陀仏の智慧を「願生偈」として説くということ。  ([[行巻#P--154|行巻 P.154]],[[浄文#P--479|浄文 P.479]],[[愚禿上#P--513|愚禿上 P.513]]
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:「説願偈総持」といふは、本願のこころをあらはすことばを「偈」といふなり、「総持」といふは智慧なり、無碍光の智慧を総持と申すなり。([[尊号真像銘文#P--652|尊号 P.652]])
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[[Category:追記]]

2018年3月15日 (木) 01:10時点における最新版

がんげそうじをときて

 願偈は『浄土論』の「願生偈」のこと。総持は親鸞聖人の解釈では「無碍光(むげこう)智慧(ちえ)」(『銘文』)の意。阿弥陀仏の智慧を「願生偈」として説くということ。  (行巻 P.154,浄文 P.479,愚禿上 P.513 )

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

「説願偈総持」といふは、本願のこころをあらはすことばを「偈」といふなり、「総持」といふは智慧なり、無碍光の智慧を総持と申すなり。(尊号 P.652)