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たんねん (711-782)
  
たんねん
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  <kana>晋(しん)</kana><kana>陵(りょう)</kana><kana>荊渓(けいけい)</kana> (現在の<kana>江蘇(こうそ)</kana>省<kana>武進(ぶしん)</kana>県) の儒家に生れ、<kana>天台(てんだい)</kana>宗の第五祖<kana>玄朗(げんろう)</kana>に師事して天台教学を研鑽した。 師の寂後、当時盛んであった<kana>法相(ほっそう)</kana>宗や<kana>華厳(けごん)</kana>宗に対抗して、衰退の状況にあった天台宗の発揚につとめたので、天台宗中興の祖とされる。 また<kana>妙楽(みょうらく)</kana>大師、荊渓尊者、円通尊者などの尊称でも呼ばれる。 著書には 『法華玄義釈籤』十巻 『法華文句記』十巻 『止観輔行伝弘決』四十巻など多数がある。
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:Ⅰ 静かに落ち着いているさま。 ([[観経疏 定善義 (七祖)#P--403|定善義 P.403]]、[[法事讃 (七祖)#P--553|法事讃 P.553]])
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:Ⅱ おだやかに安らいでいるさま。 ([[往生要集中巻 (七祖)#P--993|要集 P.993]])
  
 (711-782) 晋(しん)陵(りょう)荊渓(けいけい) (現在の江(こう)蘇(そ)省武(ぶ)進(しん)県) の儒家に生れ、天台(てんだい)宗の第五祖玄朗(げんろう)に師事して天台教学を研鑽した。 師の寂後、当時盛んであった法相(ほっそう)宗や華(け)厳(ごん)宗に対抗して、衰退の状況にあった天台宗の発揚につとめたので、天台宗中興の祖とされる。 また妙(みょう)楽(らく)大師、荊渓尊者、円通尊者などの尊称でも呼ばれる。 著書には 『法(ほっ)華(け)玄(げん)義(ぎ)釈(しゃく)籤(せん)』十巻 『法(ほっ)華(け)文(もん)句(ぐ)記(き)』十巻 『止(し)観(かん)輔(ぶ)行(ぎょう)伝(でん)弘(ぐ)決(けつ)』四十巻など多数がある。
 
  
 
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[[Category:巻末註]]
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2024年10月26日 (土) 23:57時点における最新版

たんねん (711-782)

  (しん)(りょう)荊渓(けいけい) (現在の江蘇(こうそ)武進(ぶしん)県) の儒家に生れ、天台(てんだい)宗の第五祖玄朗(げんろう)に師事して天台教学を研鑽した。 師の寂後、当時盛んであった法相(ほっそう)宗や華厳(けごん)宗に対抗して、衰退の状況にあった天台宗の発揚につとめたので、天台宗中興の祖とされる。 また妙楽(みょうらく)大師、荊渓尊者、円通尊者などの尊称でも呼ばれる。 著書には 『法華玄義釈籤』十巻 『法華文句記』十巻 『止観輔行伝弘決』四十巻など多数がある。


Ⅰ 静かに落ち着いているさま。 (定善義 P.403法事讃 P.553)
Ⅱ おだやかに安らいでいるさま。 (要集 P.993)


出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

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