「無量光明慧」の版間の差分
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信の一念を釈される、信巻の[[WD:Sin2#一念転釈|一念転釈]]で、「この心すなはちこれ無量光明慧によりて生ずる」と、信の出拠を示されておられる。 | 信の一念を釈される、信巻の[[WD:Sin2#一念転釈|一念転釈]]で、「この心すなはちこれ無量光明慧によりて生ずる」と、信の出拠を示されておられる。 |
2024年10月13日 (日) 14:05時点における最新版
むりょうこうみょうえ
はかり知れない智慧の光明。 (行巻 P.153,信巻 P.252,十住毘婆沙論 P.15)
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『十住毘婆沙論』弥陀章に、
- 無量光明慧あり、身は真金山のごとし。われいま身口意をもつて、合掌し稽首し礼したてまつる。(十住毘婆沙論 P.15)
とある。 信の一念を釈される、信巻の一念転釈で、「この心すなはちこれ無量光明慧によりて生ずる」と、信の出拠を示されておられる。