「蟪蛄」の版間の差分
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と、ある。曇鸞大師は老荘にも通じておられたから『荘子』からこの一文を引用されたのだろう。 | と、ある。曇鸞大師は老荘にも通じておられたから『荘子』からこの一文を引用されたのだろう。 | ||
− | :〈蟪蛄春秋を識らず、[[伊虫]] | + | :〈蟪蛄春秋を識らず、[[伊虫]]あに[[朱陽の節]]を知らんや〉 |
蟪蛄(夏ぜみ)は(夏だけの命で)、春と秋を知らない。季節(春秋)を知らないのであるから、この虫([[伊虫]])は、どうして今の朱陽(夏)が夏であることを知りえようか。今しか知らない者は今も知らないという意である。<br /> | 蟪蛄(夏ぜみ)は(夏だけの命で)、春と秋を知らない。季節(春秋)を知らないのであるから、この虫([[伊虫]])は、どうして今の朱陽(夏)が夏であることを知りえようか。今しか知らない者は今も知らないという意である。<br /> | ||
2024年4月5日 (金) 15:16時点における版
けいこ
ひぐらし。なつ蝉。 (論註 P.98)、(信巻 P.301)
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『荘子』逍遙遊篇一に、
と、ある。曇鸞大師は老荘にも通じておられたから『荘子』からこの一文を引用されたのだろう。
蟪蛄(夏ぜみ)は(夏だけの命で)、春と秋を知らない。季節(春秋)を知らないのであるから、この虫(伊虫)は、どうして今の朱陽(夏)が夏であることを知りえようか。今しか知らない者は今も知らないという意である。
トーク:蟪蛄に逍遙遊篇一の読み下しあり。
- →伊虫