「木に遇ふ」の版間の差分
提供: WikiArc
細 (1 版) |
|||
(同じ利用者による、間の1版が非表示) | |||
6行目: | 6行目: | ||
{{Copyright}} | {{Copyright}} | ||
---- | ---- | ||
+ | {{Tinc|トーク:盲ひたる亀の…}} |
2024年3月17日 (日) 10:19時点における最新版
きにあふ
盲亀浮木の喩えをうけていう。 大海中に住む盲目の亀が、百年に一度、海上に顔を出し、そこに流れてきた板のあなに出遇うことが極めて困難であるように、仏法に遇うこともきわめて難しい。 (般舟讃 P.716)
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
◆ 参照読み込み (transclusion) トーク:盲ひたる亀の…
- 仏法に遇い難いこと、人として生まれることの困難さの譬喩を説く。
盲亀浮木(もうき-ふぼく)
如是我聞。一時佛住獼猴池側重閣講堂。
- 是くの如く我れ聞く。一時、佛、獼猴池[1]側の重閣講堂に住す。
爾時世尊告諸比丘。譬如大地悉成大海。有一盲龜。壽無量劫。百年一出其頭。
- その時、世尊、諸の比丘に告げたまう。譬へば大地を悉く大海に成すが如きに、一の盲いたる亀あり。壽、無量劫にして、百年に一たび其の頭を出す。
海中有浮木。止有一孔。漂流海浪。隨風東西。
- 海中に浮木有りて、一孔を止む有り。海浪に漂流し、風に隨い東し西す。
盲龜百年。一出其頭。當得遇此孔不。
- 盲亀百年に一たび其の頭を出すに、當に此の孔に遇うを得るべきやいなや。
阿難白佛。不能世尊。所以者何。此盲龜。若至海東。浮木隨風。或至海西。南北四維圍遶亦爾。不必相得。
- 阿難、佛に白さく、世尊よ能わず。所以は何かん。此の盲亀、若し海の東に至らんに、浮木、風に隨いて、或いは海の西に至り、南北四維の圍遶すること亦た爾なり。必ず相い得ずとなり。
佛告阿難。盲龜浮木。雖復差違。或復相得。愚癡凡夫。漂流五趣。暫復人身。甚難於彼。
- 佛、阿難に告げたまう。盲亀の浮木に復た差し違い、或いは復た相い得るといえども、愚癡の凡夫、五趣に漂流し、暫く人身を復すは、甚だ彼よりも難し。
所以者何。彼諸衆生。不行其義。不行法。不行善。不行眞實。展轉殺害。強者陵弱。造無量惡故。
- 所以は何んとならば、彼の諸の衆生は、其の義を行ぜず、法を行ぜず。善を行ぜず、眞實を行ぜず、展轉して、強者は弱を陵(しの)ぎ殺害し、無量の惡を造るが故なり。
是故比丘。於四聖諦。當未無間等者。當勤方便起増上欲。學無間等。
- 是の故に比丘よ、四聖諦に於いて、當にいまだに無間(あひだなく)等なるべし。當に方便を起し、増上するを勤めんと欲し、無間等に學ぶべし。
佛説此經已。諸比丘聞佛所説。歡喜奉行
- 佛此の經を説き已るに、諸の比丘、佛の所説を聞きて、歡喜奉行す。