「諸有」の版間の差分
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− | : | + | :①「あらゆる。諸有は[[二十五有]]の衆生といふ。われら衆生は[[二十五有]]に過ぎて生るるといふこころなり」(異本)[[浄土和讃#no25|浄土 P.560]] |
:②「十方のよろづの衆生なり」(異本)([[高僧和讃#no36|高僧 P.584]]) | :②「十方のよろづの衆生なり」(異本)([[高僧和讃#no36|高僧 P.584]]) | ||
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+ | 諸有を<kana>諸々(もろもろ)</kana>の有と読む時は[[二十五有]]のことであり、あらゆると読むときはすべての衆生といふ意味になる。 |
2023年9月9日 (土) 15:55時点における版
しょう
あらゆるものみな。二十五有の迷いの境界。(化巻 P.408, 浄文 P.483, 浄土 P.569, 十二礼 P.1442、要集 P.882)
【左訓】
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
諸有を