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:かるがゆゑに、阿弥陀仏の、むかし[[法蔵比丘]]たりしとき、「衆生仏に成らずはわれも正覚ならじ」と誓ひましますとき、その正覚すでに成じたまひしすがたこそ、いまの'''[[南無阿弥陀仏]]'''なりとこころうべし。これすなはちわれらが往生の定まりたる'''証拠'''なり。{{WavyUL|されば他力の信心[[獲得]]すといふも、ただこの六字のこころなりと[[落居]]すべきものなり。}}([[御文四#P--1179|御文章 P.1179]]) | :かるがゆゑに、阿弥陀仏の、むかし[[法蔵比丘]]たりしとき、「衆生仏に成らずはわれも正覚ならじ」と誓ひましますとき、その正覚すでに成じたまひしすがたこそ、いまの'''[[南無阿弥陀仏]]'''なりとこころうべし。これすなはちわれらが往生の定まりたる'''証拠'''なり。{{WavyUL|されば他力の信心[[獲得]]すといふも、ただこの六字のこころなりと[[落居]]すべきものなり。}}([[御文四#P--1179|御文章 P.1179]]) | ||
− | + | と、「信心[[獲得]]すといふも、ただこの六字のこころなり」であるといわれていた。信の体は名号である。蓮如さんは「[[後生の一大事]]」を強調されのだが、それは「タスケタマエト ミダヲタノム」と南無阿弥陀仏を日本語化して[[後生]]を弥陀に'''[[たのむ|<kana>憑(たの)</kana>む]]'''ことが[[信心]]であるといふ意味であった。なお、弥陀とは南無阿弥陀仏の省略形であった。 | |
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2023年7月6日 (木) 01:09時点における版
ぎゃくとく
えること。「信巻」別序に、
などとある。なお、『正像末和讃』に収録されている「自然法爾章」では、「獲得名号」について、
『尊号真像銘文』には、『首楞厳経』の「勢至獲念仏円通」を釈して、
- 「獲」といふはうるといふことばなり、うるといふはすなはち因位のときさとりをうるといふ。念仏を勢至菩薩さとりうると申すなり。(尊号 P.648)
ともある。ここでの「獲」は、法然聖人は智慧の法然房と呼ばれ智慧を象徴する勢至菩薩とも称せられたことから法然聖人の念仏往生の法義を開顕されたことを「獲」の字で讃ずる意であろう。御開山はこの『首楞厳経』の意を「勢至讃」に和讃され「以上大勢至菩薩 源空聖人御本地なり」(浄土 P.577)とされておられた。
「自然法爾章」や『尊号真像銘文』は晩年に述べられた法語であり『教行証』執筆時代にはそれほど厳密に獲と得を区別されておられなかったことに留意。
浄土真宗では、獲も得も無い状態が有ることになったという意味を示す語である。これを「如来選択の願心より発起す](信巻 P.209) といふのであり、衆生の求道の努力や苦心の末に信心を手に入れ自分のものにすることとは違う概念という事に留意すべし。この意を「和讃」では、
(82)
とされ「信は願より生ずれば」の左訓に「われら衆生の信は弥陀の願より起るなり」とされておられた。
蓮如さんは盛んに「信心獲得」の名目をもって衆生を勧化された。しかし実は信心には「体(ものがら)」は無いのであった(三法立題#syuttai)。蓮如さんはその「体」の無い信心とは何かといふことを、
- かるがゆゑに、阿弥陀仏の、むかし法蔵比丘たりしとき、「衆生仏に成らずはわれも正覚ならじ」と誓ひましますとき、その正覚すでに成じたまひしすがたこそ、いまの南無阿弥陀仏なりとこころうべし。これすなはちわれらが往生の定まりたる証拠なり。されば他力の信心獲得すといふも、ただこの六字のこころなりと落居すべきものなり。(御文章 P.1179)
と、「信心獲得すといふも、ただこの六字のこころなり」であるといわれていた。信の体は名号である。蓮如さんは「後生の一大事」を強調されのだが、それは「タスケタマエト ミダヲタノム」と南無阿弥陀仏を日本語化して後生を弥陀に