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 二とは相対や対立の意で、この否定が不二。対立していて二元的に見える事柄も、絶対的な立場から見ると対立がなく一つのものであるということ。相対(相待)を絶するということから絶対(絶待)を意味する。また対立を超えているということから平等を意味し、不二絶対、不二平等というように使われる。
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 二とは相対や対立の意で、この否定が不二。対立していて二元的に見える事柄も、絶対的な立場から見ると対立がなく一つのものであるということ。相対(相待))<ref>二つのものが互いに相対関連して存すること。長は短と、東は西とあい対してともに存するという類。➡[https://kotobank.jp/word/%E7%9B%B8%E5%BE%85-552820#:~:text=%E3%81%9D%E3%81%86%E2%80%90%E3%81%A0%E3%81%84%20%E3%82%B5%E3%82%A6%E2%80%A5%E3%80%90%E7%9B%B8%E5%BE%85%E3%80%91&text=%E4%BA%8C%E3%81%A4%E3%81%AE%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%8C%E4%BA%92%E3%81%84%E3%81%AB,%E5%BE%85(%E3%81%9C%E3%81%A4%E3%81%A0%E3%81%84)%E3%80%82 コトバンク]</ref>を絶するということから絶対(絶待 <ref>他との比較対立を絶していること。他に並ぶもののないこと。➡[https://kotobank.jp/word/%E7%B5%B6%E5%BE%85-548285 コトバンク]</ref> を意味する。また対立を超えているということから平等を意味し、不二絶対、不二平等というように使われる。<br />
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:→[[入不二の法門]]
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:→[[不二の心]]
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:→[[若不生者のちかひ]]
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:→[[名体不二]]
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2023年5月6日 (土) 09:37時点における最新版

ふに

 二とは相対や対立の意で、この否定が不二。対立していて二元的に見える事柄も、絶対的な立場から見ると対立がなく一つのものであるということ。相対(相待))[1]を絶するということから絶対(絶待 [2] を意味する。また対立を超えているということから平等を意味し、不二絶対、不二平等というように使われる。

入不二の法門
不二の心
若不生者のちかひ
名体不二

◆ 参照読み込み (transclusion) JDS:不二

ふに/不二

二つのものの相対的対立を超えた、二者の絶対的平等を意味する語。Ⓢadvaya。二ではないというところに意味があり、いわゆる一元論ではなく、二者相対の矛盾のない和合・融合を説くところに力点を置いたものと考えることができる。大乗仏教菩薩思想では智悲不二自利利他不二が強調されて、二つながら、共々に等しく一体となったものという意味で使われる。有名な「維摩の一黙」のエピソードを導く『維摩経』の不二法門は、二者の対立を離れて、相対的差別を超えた絶対的平等の理念へと説き進めている。浄土教では仏・如来凡夫衆生との関係や機と法との関係を凡聖不二凡聖一如)、機法不二機法一体)として説くことがある。たとえば聖冏は『鹿島問答』に「浄穢不二凡聖一如」(浄全一二・八三一上)と説き、「彼の三十二の菩薩不二の法門すでにこれ真実の義にあらず」(同八三一下)などと『維摩経』の教説をめぐって判釈している。


【参照項目】➡相対的二元論・絶対的一元論


【執筆者:勝崎裕彦】


  1. 二つのものが互いに相対関連して存すること。長は短と、東は西とあい対してともに存するという類。➡コトバンク
  2. 他との比較対立を絶していること。他に並ぶもののないこと。➡コトバンク