「本覚思想」の版間の差分
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このような本覚法門が浄土教と親密な関係をもっていたことは、『真如観』や『三十四箇事書』『妙行心要集』『自行念仏問答』等に明らかなところである。平安浄土教の隆盛期と、本覚法門の成立期とが期を一にしたせいもあろうが、やはり源信が両者の思想的淵源をなしていたからであろう。源信作とするには幾分の疑義があるにせよ、『観心略要集』は、浄土教と本覚思想とを融合させた初期の書として注目すべきである<ref>田村芳朗氏は「天台本覚思想概説」(『天台本覚論』・岩波日本思想大系・五二七頁)で、『観心略要集』は、『本覚讃釈』などと同じ第二次的形態で平安末期(一一五〇)-鎌倉初期(一二〇〇)のものと見るが、佐藤哲英氏は『叡山浄土教の研究』(一六九頁)において源信の真選とされている。今は真偽いずれとも決し得ないが、偽選としても十一世紀中頃までのものであろう。</ref>。例えば、 | このような本覚法門が浄土教と親密な関係をもっていたことは、『真如観』や『三十四箇事書』『妙行心要集』『自行念仏問答』等に明らかなところである。平安浄土教の隆盛期と、本覚法門の成立期とが期を一にしたせいもあろうが、やはり源信が両者の思想的淵源をなしていたからであろう。源信作とするには幾分の疑義があるにせよ、『観心略要集』は、浄土教と本覚思想とを融合させた初期の書として注目すべきである<ref>田村芳朗氏は「天台本覚思想概説」(『天台本覚論』・岩波日本思想大系・五二七頁)で、『観心略要集』は、『本覚讃釈』などと同じ第二次的形態で平安末期(一一五〇)-鎌倉初期(一二〇〇)のものと見るが、佐藤哲英氏は『叡山浄土教の研究』(一六九頁)において源信の真選とされている。今は真偽いずれとも決し得ないが、偽選としても十一世紀中頃までのものであろう。</ref>。例えば、 | ||
− | 尽{{k|二}}無明住地惑{{k|一}}帰{{k|二}}本覚真如之理{{k|一}}時、只是顕{{k|二}}本有三千{{k|一}}、始非{{k|レ}}得{{k|二}}果位万徳{{k|一}}、爰知、我等一念心性、無始已来、備{{k|二}}三身万徳{{k|一}}也。蓮華三昧経曰、帰{{k|二}}命本覚心法身{{k|一}}、常住{{k|二}}妙法心蓮台{{k|一}}、本来具{{k|二}}足三身徳{{k|一}}、三十七尊住{{k|二}}心城{{k|一}}、普門塵数諸三昧、遠{{k|二}}離因果{{k|一}}法然具、無辺徳海本円満、還我頂{{k|二}}礼心諸仏{{k|一}}云云。{{SH3|m1| | + | 尽{{k|二}}無明住地惑{{k|一}}帰{{k|二}}本覚真如之理{{k|一}}時、只是顕{{k|二}}本有三千{{k|一}}、始非{{k|レ}}得{{k|二}}果位万徳{{k|一}}、爰知、我等一念心性、無始已来、備{{k|二}}三身万徳{{k|一}}也。蓮華三昧経曰、帰{{k|二}}命本覚心法身{{k|一}}、常住{{k|二}}妙法心蓮台{{k|一}}、本来具{{k|二}}足三身徳{{k|一}}、三十七尊住{{k|二}}心城{{k|一}}、普門塵数諸三昧、遠{{k|二}}離因果{{k|一}}法然具、無辺徳海本円満、還我頂{{k|二}}礼心諸仏{{k|一}}云云。{{SH3|m1|無明住地の惑を尽くし、本覚真如の理に帰する時、ただこれ本有三千を顕す、始め果位万徳を得るに非ず、ここに知んぬ、我等一念の心性、無始よりこのかた、三身に万徳を備ふなり。『蓮華三昧経』に曰く、本覚の心 法身に帰命したてまつる、常に妙法が心の蓮台に住す、本来より(法報応の)三身の徳を具足す、(金剛界の)三十七尊が心の城に住す、普門塵数の諸の三味、因果を遠離し法然として具す、無辺の徳の海が本より円満す、(外にするべき頂礼を)我に還(かえ)して心の諸仏を頂礼する。}} |
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− | + | といい「本覚真如之理」と、一心の心性に本具している三身万徳とを同視し、このことを「帰命本覚心法身……還我頂礼心諸仏」という「本覚讃」<ref>『本覚讃』 本覚の心 法身に帰命したてまつる、常に妙法が心の蓮台に住す、本来より(法報応の)三身の徳を具足す、(金剛界の)三十七尊が心の城に住す、[[普門塵数]]の諸の三味、因果を遠離し法然として具す、無辺の徳の海が本より円満す、(外にするべき頂礼を)我に還して心の諸仏を頂礼する。</ref>によって証明しているのは明らかに本覚思想をのべたものである。そして、有名な[[阿弥陀三諦]]説を展開して<ref>『観心略要集』(恵心全一・二七七頁)に「念仏名者、其意云何、謂於阿弥陀三字、可観空仮中三諦、彼阿者即空、弥者即仮、陀者即中也、其自性清浄心、凡聖無隔、因果不改」等というものがそれである。◇ 漢文読下: 仏名を念ずとは、その意 云何(いかん)、いわゆる阿弥陀の三字において、空・仮・中の三諦を観ずべし、彼の「阿」は即ち「空」、「弥」は即ち「仮」、「陀」は即ち「中」なり、その自性清浄心、おほよそ聖に隔て無し、因果を改めざる。</ref>、浄土教の弥陀念仏と本覚思想の観心論とを融合していくわけであるが、このような思想は、源信作と伝えられてきた前掲の『三十四箇事書』『妙行心要集』『自行念仏問答』等に共通している。 | |
− | + | このような本覚論的浄土教の特色の一つは[[己身の弥陀唯心の浄土|唯心の弥陀、己心の浄土]]を強調することであった。『観心略要集』に「我身即弥陀、弥陀即我身、娑婆即極楽、極楽即娑婆……遥過{{k|二}}十万億国土{{k|一}}、不{{k|レ}}可{{k|レ}}求{{k|二}}安養浄刹{{k|一}}……己心見{{k|二}}仏身{{k|一}}、己心見{{k|二}}浄土{{k|一}}」{{SH3|m3|我身即ち弥陀、弥陀即ち我身、娑婆即ち極楽、極楽即ち娑婆……遥(はるか)に十万億国土を過ぎて安養浄刹を求むべからず。己心に仏身を見、己心に浄土を見る。}}といい、『妙行心要集』には、 | |
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というものなどがそれである。極楽浄土といっても十万億土をへだてた彼方にあるのではなくて、我が心中に本来円備している徳相であり、阿弥陀仏の無量の寿命も、我が一念心本具の徳に外ならない。娑婆と極楽、浄土と穢土、凡夫と仏を隔歴して説くのは、無明夢中の沙汰であって、覚智にあっては、浄穢不二、仏凡不二で、唯一の常寂光土のほかはないというのである。 | というものなどがそれである。極楽浄土といっても十万億土をへだてた彼方にあるのではなくて、我が心中に本来円備している徳相であり、阿弥陀仏の無量の寿命も、我が一念心本具の徳に外ならない。娑婆と極楽、浄土と穢土、凡夫と仏を隔歴して説くのは、無明夢中の沙汰であって、覚智にあっては、浄穢不二、仏凡不二で、唯一の常寂光土のほかはないというのである。 | ||
− | + | 『真如観』も同様であって「彼土ノ弥陀如来一切聖衆菩薩モ、皆悉我身中ニ坐マス故ニ、遠ク極楽世界ニ行ズ、サレ共、此土ニ有ナガラ極楽ニ生レリトイヘ共、真如ノ理ヲ知ザレバ、我身弥陀如来ト其体不二也ト知ザレバカヒナシ」<ref>『妙行心要集』上之本(恵心全二・二五八頁)</ref> と我即真如即弥陀といっている。<br /> | |
− | + | 真如観とは、我即真如、我即弥陀と知ることによって、現身に往生し、成仏する[[JDS:観心|観心]]であって、ただ鈍根は来生の往生を期すべしと勧めているのである。 | |
− | + | ところで我即仏と知り、[[煩悩即菩提]]と体達することは、無量劫の難行苦行によってのみ可能であるというのは権教の所説であって、今この実教(本覚法門)においては、帯をといて臥しながらでも、心中に我即真如と観じ、我即仏と思う一念の[[JDS:観心|観心]]によって即身成仏するのである<ref>『真如観』(一四三頁)</ref>。このような速疾成仏が可能であるのは、万法には本来自性なく、心の思いに従ってどうにでもなるからである。『真如観』にはそれを、 | |
− | 万法ニ自性ナシ、亦心ガ思ヒナスニ随テトモカウモ成也。煩悩ヲ菩提ナリト思ヘバ則菩提ナリ、我ヲ真如ト思ヘバ真如ナリ、仏ナリ。 | + | 万法ニ自性ナシ、亦心ガ思ヒナスニ随テトモカウモ成也。煩悩ヲ菩提ナリト思ヘバ則菩提ナリ、我ヲ真如ト思ヘバ真如ナリ、仏ナリ。<ref>『真如観』(一四一頁)</ref> |
− | + | といい、その論拠として『華厳経』の「心造諸如来」の文をあげている。かくて「我モ<kana>口(くち)</kana>ニハ弥陀ノ名号ヲ唱ヘ、一心ニ真如ノ理ヲ思ヘバ、須臾ノ間ニ仏ニ成」というのである。<ref>『真如観』(一四一頁)</ref><br /> | |
− | + | もっともここでいう即身成仏は、[[六即]]の中では名字即位の成仏であって、究竟即のそれではないという。天台では菩薩の行位を、理即、名字即、観行即、相似即、分真即、究竟即の六即に分類することは周知の如くであるが、『真如観』には「我等スデニ三諦ノ名字ヲ聞、我則真如ナリト知レリ、[[六即]]ノ中ニハ是ヲヲサメバ名字即ノ位ニアタレリ」<ref>『真如観』(一四六頁)</ref>といっている。本覚法門の特長はこのように名字即位の即身成仏を強調することで、『三十四箇事書』や『漢光類聚』<ref>『漢光類聚』二(日仏全一七・五二頁)</ref>等に同様の思想が述べられている。ただ同じ[[六即]]といっても、中国天台のそれよりも即の面に重点をおいており『三十四箇事書』では、「当家一流に習ひあり、名字即の位において知識に遇ひ、頓極の教法を聞き、当座に即ち自身即仏と知って、実に余求なきは、即ち平等大慧に住す。即解、即行、即証にして、一念の頃に証を取ること掌を反すが如し……教に遇ふ時即ち証なり、万行万善は果後の方便なり」(原漢文)<ref>『三十四箇事書』「一念成仏事」(一八〇頁)</ref>といい、名字即位をそのまま究竟即とみなしている。ここに本覚法門の特異性が窺われる。 | |
このようにして煩悩具足の凡夫が、我即真如なり、我即仏なりとおもえば真如であり、仏であるという本覚法門は、深い罪障にまつわられ、煩悩に狂わされて愛と憎しみのはざまを迷いながら生きるしか生きようのない凡夫の現実が全く無視されているといわねばならない。娑婆即寂光と理論的に理解したとしても、現実には娑婆の苦悩から解放されるわけではない。煩悩即菩提、生死即涅槃と思っても煩悩、生死の現実は少しもかわらないし、我即仏と信じても、浅ましい凡夫でありつづけるとすれば本覚法門とは、娑婆に生きる凡夫の現実を捨象した空論であり、抽象論に過ぎないときびしく批判していったのが法然の浄土教学であった。 | このようにして煩悩具足の凡夫が、我即真如なり、我即仏なりとおもえば真如であり、仏であるという本覚法門は、深い罪障にまつわられ、煩悩に狂わされて愛と憎しみのはざまを迷いながら生きるしか生きようのない凡夫の現実が全く無視されているといわねばならない。娑婆即寂光と理論的に理解したとしても、現実には娑婆の苦悩から解放されるわけではない。煩悩即菩提、生死即涅槃と思っても煩悩、生死の現実は少しもかわらないし、我即仏と信じても、浅ましい凡夫でありつづけるとすれば本覚法門とは、娑婆に生きる凡夫の現実を捨象した空論であり、抽象論に過ぎないときびしく批判していったのが法然の浄土教学であった。 |
2023年3月8日 (水) 01:37時点における版
- 第二節 本覚法門と浄土教
このような本覚法門が浄土教と親密な関係をもっていたことは、『真如観』や『三十四箇事書』『妙行心要集』『自行念仏問答』等に明らかなところである。平安浄土教の隆盛期と、本覚法門の成立期とが期を一にしたせいもあろうが、やはり源信が両者の思想的淵源をなしていたからであろう。源信作とするには幾分の疑義があるにせよ、『観心略要集』は、浄土教と本覚思想とを融合させた初期の書として注目すべきである[1]。例えば、
尽二無明住地惑一帰二本覚真如之理一時、只是顕二本有三千一、始非レ得二果位万徳一、爰知、我等一念心性、無始已来、備二三身万徳一也。蓮華三昧経曰、帰二命本覚心法身一、常住二妙法心蓮台一、本来具二足三身徳一、三十七尊住二心城一、普門塵数諸三昧、遠二離因果一法然具、無辺徳海本円満、還我頂二礼心諸仏一云云。「隠/顕」無明住地の惑を尽くし、本覚真如の理に帰する時、ただこれ本有三千を顕す、始め果位万徳を得るに非ず、ここに知んぬ、我等一念の心性、無始よりこのかた、三身に万徳を備ふなり。『蓮華三昧経』に曰く、本覚の心 法身に帰命したてまつる、常に妙法が心の蓮台に住す、本来より(法報応の)三身の徳を具足す、(金剛界の)三十七尊が心の城に住す、普門塵数の諸の三味、因果を遠離し法然として具す、無辺の徳の海が本より円満す、(外にするべき頂礼を)我に還(かえ)して心の諸仏を頂礼する。 [2]
といい「本覚真如之理」と、一心の心性に本具している三身万徳とを同視し、このことを「帰命本覚心法身……還我頂礼心諸仏」という「本覚讃」[3]によって証明しているのは明らかに本覚思想をのべたものである。そして、有名な阿弥陀三諦説を展開して[4]、浄土教の弥陀念仏と本覚思想の観心論とを融合していくわけであるが、このような思想は、源信作と伝えられてきた前掲の『三十四箇事書』『妙行心要集』『自行念仏問答』等に共通している。
このような本覚論的浄土教の特色の一つは唯心の弥陀、己心の浄土を強調することであった。『観心略要集』に「我身即弥陀、弥陀即我身、娑婆即極楽、極楽即娑婆……遥過二十万億国土一、不レ可レ求二安養浄刹一……己心見二仏身一、己心見二浄土一」「隠/顕」我身即ち弥陀、弥陀即ち我身、娑婆即ち極楽、極楽即ち娑婆……遥(はるか)に十万億国土を過ぎて安養浄刹を求むべからず。己心に仏身を見、己心に浄土を見る。といい、『妙行心要集』には、
我心外去二十万億土一非レ有二安養刹諸賢聖一、亦彼仏心外、隔二東方爾所一、非レ有二娑婆界我等一切衆生一、故知極楽 水鳥樹林依正荘厳、我心円備、釈迦如来久遠寿命、弥陀如来無量寿命、唯在二我心刹那中一……無明夢中、娑婆極楽、法性覚前、寂光唯一。[5]「隠/顕」我が心の外に十万億土を去りて安養刹 諸の賢聖あるに非ず、また彼の仏心の外に、東方その所を隔て娑婆界の我等一切衆生あるに非ず、ゆえに知んぬ極楽の水鳥樹林 依正の荘厳、我が心に円備す、釈迦如来久遠の寿命、弥陀如来無量寿の命、ただ我が心の刹那中に在(あ)り、……無明夢中、娑婆極楽、法性覚前、寂光唯一なり。
というものなどがそれである。極楽浄土といっても十万億土をへだてた彼方にあるのではなくて、我が心中に本来円備している徳相であり、阿弥陀仏の無量の寿命も、我が一念心本具の徳に外ならない。娑婆と極楽、浄土と穢土、凡夫と仏を隔歴して説くのは、無明夢中の沙汰であって、覚智にあっては、浄穢不二、仏凡不二で、唯一の常寂光土のほかはないというのである。
『真如観』も同様であって「彼土ノ弥陀如来一切聖衆菩薩モ、皆悉我身中ニ坐マス故ニ、遠ク極楽世界ニ行ズ、サレ共、此土ニ有ナガラ極楽ニ生レリトイヘ共、真如ノ理ヲ知ザレバ、我身弥陀如来ト其体不二也ト知ザレバカヒナシ」[6] と我即真如即弥陀といっている。
真如観とは、我即真如、我即弥陀と知ることによって、現身に往生し、成仏する観心であって、ただ鈍根は来生の往生を期すべしと勧めているのである。
ところで我即仏と知り、煩悩即菩提と体達することは、無量劫の難行苦行によってのみ可能であるというのは権教の所説であって、今この実教(本覚法門)においては、帯をといて臥しながらでも、心中に我即真如と観じ、我即仏と思う一念の観心によって即身成仏するのである[7]。このような速疾成仏が可能であるのは、万法には本来自性なく、心の思いに従ってどうにでもなるからである。『真如観』にはそれを、
万法ニ自性ナシ、亦心ガ思ヒナスニ随テトモカウモ成也。煩悩ヲ菩提ナリト思ヘバ則菩提ナリ、我ヲ真如ト思ヘバ真如ナリ、仏ナリ。[8]
といい、その論拠として『華厳経』の「心造諸如来」の文をあげている。かくて「我モ
もっともここでいう即身成仏は、六即の中では名字即位の成仏であって、究竟即のそれではないという。天台では菩薩の行位を、理即、名字即、観行即、相似即、分真即、究竟即の六即に分類することは周知の如くであるが、『真如観』には「我等スデニ三諦ノ名字ヲ聞、我則真如ナリト知レリ、六即ノ中ニハ是ヲヲサメバ名字即ノ位ニアタレリ」[10]といっている。本覚法門の特長はこのように名字即位の即身成仏を強調することで、『三十四箇事書』や『漢光類聚』[11]等に同様の思想が述べられている。ただ同じ六即といっても、中国天台のそれよりも即の面に重点をおいており『三十四箇事書』では、「当家一流に習ひあり、名字即の位において知識に遇ひ、頓極の教法を聞き、当座に即ち自身即仏と知って、実に余求なきは、即ち平等大慧に住す。即解、即行、即証にして、一念の頃に証を取ること掌を反すが如し……教に遇ふ時即ち証なり、万行万善は果後の方便なり」(原漢文)[12]といい、名字即位をそのまま究竟即とみなしている。ここに本覚法門の特異性が窺われる。
このようにして煩悩具足の凡夫が、我即真如なり、我即仏なりとおもえば真如であり、仏であるという本覚法門は、深い罪障にまつわられ、煩悩に狂わされて愛と憎しみのはざまを迷いながら生きるしか生きようのない凡夫の現実が全く無視されているといわねばならない。娑婆即寂光と理論的に理解したとしても、現実には娑婆の苦悩から解放されるわけではない。煩悩即菩提、生死即涅槃と思っても煩悩、生死の現実は少しもかわらないし、我即仏と信じても、浅ましい凡夫でありつづけるとすれば本覚法門とは、娑婆に生きる凡夫の現実を捨象した空論であり、抽象論に過ぎないときびしく批判していったのが法然の浄土教学であった。
- ↑ 田村芳朗氏は「天台本覚思想概説」(『天台本覚論』・岩波日本思想大系・五二七頁)で、『観心略要集』は、『本覚讃釈』などと同じ第二次的形態で平安末期(一一五〇)-鎌倉初期(一二〇〇)のものと見るが、佐藤哲英氏は『叡山浄土教の研究』(一六九頁)において源信の真選とされている。今は真偽いずれとも決し得ないが、偽選としても十一世紀中頃までのものであろう。
- ↑ 『観心略要集』(恵心全一・二九一頁)
- ↑ 『本覚讃』 本覚の心 法身に帰命したてまつる、常に妙法が心の蓮台に住す、本来より(法報応の)三身の徳を具足す、(金剛界の)三十七尊が心の城に住す、普門塵数の諸の三味、因果を遠離し法然として具す、無辺の徳の海が本より円満す、(外にするべき頂礼を)我に還して心の諸仏を頂礼する。
- ↑ 『観心略要集』(恵心全一・二七七頁)に「念仏名者、其意云何、謂於阿弥陀三字、可観空仮中三諦、彼阿者即空、弥者即仮、陀者即中也、其自性清浄心、凡聖無隔、因果不改」等というものがそれである。◇ 漢文読下: 仏名を念ずとは、その意 云何(いかん)、いわゆる阿弥陀の三字において、空・仮・中の三諦を観ずべし、彼の「阿」は即ち「空」、「弥」は即ち「仮」、「陀」は即ち「中」なり、その自性清浄心、おほよそ聖に隔て無し、因果を改めざる。
- ↑ 『観心略要集』(恵心全一・二八八頁)
- ↑ 『妙行心要集』上之本(恵心全二・二五八頁)
- ↑ 『真如観』(一四三頁)
- ↑ 『真如観』(一四一頁)
- ↑ 『真如観』(一四一頁)
- ↑ 『真如観』(一四六頁)
- ↑ 『漢光類聚』二(日仏全一七・五二頁)
- ↑ 『三十四箇事書』「一念成仏事」(一八〇頁)