「領解文」の版間の差分
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平成5年の報恩講で、本願寺門主が平成3年ご親教での「浄土真宗のみ教え」に「師徳」を追記して新しい『領解文』であるとされた御消息の文を『本願寺新報』からテキスト化した。 | 平成5年の報恩講で、本願寺門主が平成3年ご親教での「浄土真宗のみ教え」に「師徳」を追記して新しい『領解文』であるとされた御消息の文を『本願寺新報』からテキスト化した。 |
2023年1月22日 (日) 15:14時点における版
平成5年の報恩講で、本願寺門主が平成3年ご親教での「浄土真宗のみ教え」に「師徳」を追記して新しい『領解文』であるとされた御消息の文を『本願寺新報』からテキスト化した。 『領解文』とは、蓮如さんが制定されたといわれる、門徒が御開山や仏祖の前での口唱する信仰告白の文である。
- 浄土真宗のみ教え(領解文)
- 南無阿弥陀仏
- 「われにまかせよ そのまま 救う」の 弥陀のよび声
- 私の 煩悩と 仏のさとりは 本来一つゆえ
- 「そのまま 救う」が 弥陀のよび声
- ありがとう といただいて
- この 愚身をまかす このままで
- 救い取られる 自然の 浄土
- 仏恩報謝の お念仏
- これもひとえに
- 宗祖聖人と
- 法灯を伝承された 歴代宗主の
- 尊いお導きに よるものです
- み教えを依りどころに 生きる者 となり
- 少しずつ 執われの 心を離れます
- 生かされていることに 感謝して
- むさぼり いかりに 流されず
- 穏やかな顔と 優しい言葉
- 喜びも 悲しみも 分かち合い
- 日々 精一杯 つとめます
- 突っ込みどころ満載なのじっくり料理しよう(笑
新しい「領解文」示される
ご門主がご満座に「ご消息」で (本願寺新報平成五年1月16日付)
- 新しい「領解文」(浄土真宗のみ教え)についての消息
本年三月には、「親鸞聖人御誕生八百五十年・立教開宗八百年慶讃法要」という記念すべきご勝縁をお迎えいたします。このたびの慶讃法要は、親驚聖人の立教開宗のご恩に深く感謝し、同じお念仏の道を歩む者同士が、あらためて同信の喜びを分かち合うための法要です。また、これ を機縁として、特に若い人やこれまで仏教や浄土真宗に親しみのなかった人など、一人でも多くの方々に浄土真宗とのご縁を結んでいただきたいと思います。
伝教団を標榜する私たちにとって、真実信心を正しく、わかりやすく伝えることが大切であることは申すまでもありませんが、そのためには時代状況や人々の意識に応じた伝道方法を工夫し、伝わるものにしていかなければなりません。このような願いをこめ、令和三年・二〇二一年の立教開記念法要において、親鸞聖人の生き方に学び、次の世代の方々にご法義がわかりやすく伝わるよう、その肝要を「浄土真宗のみ教え」として示し、ともに唱和していただきたい旨を申し述べました。
浄土真宗では蓮如上人の時代から、自身の法義の受けとめを表出するために『領解文』 が用いられてきました。
そこには「信心正因・ 称名報恩」などご法義の肝要が、当時の一般の人々にも理解できるよう簡潔に、また平易な言葉で記されており、領解出言の果たす役割は、今日でも決して小さくありません。
しかしながら、時代の推移とともに、『領解文』の理解における平易さという面が、徐々に希薄になってきたこと も否めません。したがって、これから先、この『領解文』の精神を受け継ぎつつ、念仏者として領解すべきことを正しく、わかりやすい言葉で表現し、またこれを拝読、唱和することでご法義の肝要が正確に伝わるような、いわゆる現代版の「領解文」というべきものが必要になってきます。
そこでこのたび、「浄土真宗のみ教え」に師徳への感謝の念を加え、ここに新しい「領解文」(浄土真宗のみ教え) として示します。
浄土真宗のみ教え
- 南無阿弥陀仏
- 「われにまかせよ そのまま 救う」の 弥陀のよび声
- 私の 煩悩と 仏のさとりは 本来一つゆえ
- 「そのまま 救う」が 弥陀のよび声
- ありがとう といただいて
- この 愚身をまかす このままで
- 救い取られる 自然の 浄土
- 仏恩報謝の お念仏
- これもひとえに
- 宗祖聖人と
- 法灯を伝承された 歴代宗主の
- 尊いお導きに よるものです
- み教えを依りどころに 生きる者 となり
- 少しずつ 執われの 心を離れます
- 生かされていることに 感謝して
- むさぼり いかりに 流されず
- 穏やかな顔と 優しい言葉
- 喜びも 悲しみも 分かち合い
- 日々 精一杯 つとめます
この新しい「領解文」(浄土真宗のみ教え)を僧俗を問 わず多くの方々に、さまざまな機会で拝読、唱和いただき、み教えの肝要が広く、また次の世代に確実に伝わることを切に願っております。
- 令和五年
- 二〇二三年
- 一月十六日
- 龍谷門主 釋 専如
- ➡ファイル:本願寺新報平成五年1月16日付.pdf