操作

「仏」の版間の差分

提供: WikiArc

5行目: 5行目:
 
{{Copyright}}
 
{{Copyright}}
 
----
 
----
ブッダ(buddha)の「浮図」「浮屠」の音写から、「ふと」→「ほとけ」(F音のH音への転)となったのであろうと思われる。なお旧字の佛は通常の人ではないという意で人偏+弗という漢字が作られたという。覚は目覚めの意で[[exc:酔生夢死|酔生夢死]](酒に酔っ払い、夢のような生き方をして生まれた意味のないこと)の我らへの思し召しである。
+
{{Inyou2|
 +
ぶつ 仏
 +
 
 +
 梵語ブッダ (buddha) の音訳。 仏陀(ぶっだ)・浮図(ふと)・浮屠(ふtp)とも音訳し、覚・覚者と意訳する、目覚めたもの・真理をさとったもの。自らの[[さとり]]も、他をさとらしめるはたらきも完全に窮まり満ちたもののこと。もとは釈尊を指す語であったが、後に[[阿弥陀仏]]など多くの仏に用いられる、如来の十号の一。また日本では 「ほとけ」 ともいう。→[[三宝]]、[[ 三覚]] (浄土真宗辞典)
 +
}}
 +
ブッダ(buddha)の「浮図」「浮屠」の音写から、「ふと」→「ほとけ」(F音のH音への転)となったのであろうと思われる。なお旧字の佛は通常の人ではないという意で人偏+弗(打ち消しの助字)という漢字が作られたという。覚は目覚めの意で[[exc:酔生夢死|酔生夢死]](酒に酔っ払い、夢のような生き方をして生まれた意味のないこと)の我らへの思し召しである。
  
 
'''自覚覚他 覚行窮満 名之為仏'''(自ら目覚め他を目覚めさせる覚めるためのおこない(覚行)を窮めつくし満ち足りた方、この方(之)を仏と名ずけたてまつる)([[観経疏 玄義分 (七祖)#no6|玄義分 P.301]])
 
'''自覚覚他 覚行窮満 名之為仏'''(自ら目覚め他を目覚めさせる覚めるためのおこない(覚行)を窮めつくし満ち足りた方、この方(之)を仏と名ずけたてまつる)([[観経疏 玄義分 (七祖)#no6|玄義分 P.301]])
11行目: 16行目:
 
:→[[自覚・覚他・覚行窮満]]
 
:→[[自覚・覚他・覚行窮満]]
 
{{JDS|仏 (ぶつ)}}
 
{{JDS|仏 (ぶつ)}}
[[Category:追記]]
+
[[Category:追記]] <p id="page-top">[[#|▲]]</p>

2022年6月30日 (木) 11:58時点における版

ぶつ

 梵語ブッダ(buddha)の音写、覚者と漢訳し、「ほとけ」と和訳する。自ら真理をさとり、他をさとらしめ、さとりのはたらきが完全に窮まり満ちた者のこと。→三法 (さんぼう)。

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

ぶつ 仏

 梵語ブッダ (buddha) の音訳。 仏陀(ぶっだ)・浮図(ふと)・浮屠(ふtp)とも音訳し、覚・覚者と意訳する、目覚めたもの・真理をさとったもの。自らのさとりも、他をさとらしめるはたらきも完全に窮まり満ちたもののこと。もとは釈尊を指す語であったが、後に阿弥陀仏など多くの仏に用いられる、如来の十号の一。また日本では 「ほとけ」 ともいう。→三宝 三覚 (浄土真宗辞典)

ブッダ(buddha)の「浮図」「浮屠」の音写から、「ふと」→「ほとけ」(F音のH音への転)となったのであろうと思われる。なお旧字の佛は通常の人ではないという意で人偏+弗(打ち消しの助字)という漢字が作られたという。覚は目覚めの意で酔生夢死(酒に酔っ払い、夢のような生き方をして生まれた意味のないこと)の我らへの思し召しである。

自覚覚他 覚行窮満 名之為仏(自ら目覚め他を目覚めさせる覚めるためのおこない(覚行)を窮めつくし満ち足りた方、この方(之)を仏と名ずけたてまつる)(玄義分 P.301)

自覚・覚他・覚行窮満
参照WEB版浄土宗大辞典の「仏 (ぶつ)」の項目