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「果遂」の版間の差分

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昔の布教使は、[[第十八願]]の[[信心]]が判らん解らんという[[門徒]]に、[[第二十願]]の[[果遂の願]]があるさけ、なんまんだぶを称え至心に回向して、もう一回りしてくるこっちゃ、と言っていたものだった。
  
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2020年9月20日 (日) 11:36時点における最新版

かすい

 【左訓】「つひにはたすべしとなり」(三経 P.635)

 果たし遂げるという意。親鸞聖人は、一には方便化土往生を、二つには第十八願(弘願)の転入をはたしとげさせる意とするが、ここでは方便化土から真実報土への転入をはたしとげさせる意となっている。(歎異抄 P.839)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

果遂のちかひに帰してこそ
果遂の願

参照WEB版浄土宗大辞典の「一生果遂・三生果遂」の項目

昔の布教使は、第十八願信心が判らん解らんという門徒に、第二十願果遂の願があるさけ、なんまんだぶを称え至心に回向して、もう一回りしてくるこっちゃ、と言っていたものだった。