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 浄土へ来たれと招き喚(よ)ぶこと。 [[浄文#P--493|浄文 P.493]])
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 浄土へ来たれと招き喚(よ)ぶこと。 ([[浄文#P--493|浄文 P.493]])
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 阿弥陀仏が衆生に、浄土へ来たれと招きよぶこと。[[発遣]]の対。 ([[観経疏 散善義 (七祖)#P--469|散善義 P.469]])
  
 
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釈迦は往けという、弥陀は来いという。
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『愚禿鈔』には二河白道の譬喩によって、
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とあり、釈尊の西方に向かへとの[[発遣]]と、阿弥陀仏の直ちに来たれを[[招喚]]と示しておられる。<br />
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先人は、これを、釈迦は往けという(発遣)、弥陀は来いという(招喚)と領解して、なんまんだぶと称え[[本願招喚の勅命]]の<kana>喚声(よびごえ)</kana>をいただいていたものである。
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:→[[よばうて]]
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2020年1月13日 (月) 17:05時点における最新版

しょうかん

 浄土へ来たれと招き喚(よ)ぶこと。 (浄文 P.493)

 阿弥陀仏が衆生に、浄土へ来たれと招きよぶこと。発遣の対。 (散善義 P.469)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

『愚禿鈔』には二河白道の譬喩によって、

「仰いで釈迦発遣して、(おし)へて西方に向かへたまふことを蒙る」といふは、順なり。「また弥陀の悲心招喚したまふによる」といふは、信なり。「いま二尊の(おんこころ)信順して、水火二河を顧みず、念々に(わす)るることなく、かの願力の道に乗ず」といへり。(愚禿下 P.539)

とあり、釈尊の西方に向かへとの発遣と、阿弥陀仏の直ちに来たれを招喚と示しておられる。
先人は、これを、釈迦は往けという(発遣)、弥陀は来いという(招喚)と領解して、なんまんだぶと称え本願招喚の勅命喚声(よびごえ)をいただいていたものである。

よばうて
本願招喚の勅命