「二双四重」の版間の差分
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「信巻」([[信巻本#P--246| P.246]]、[[信巻末#P--254| P.254]])、「化身土巻」([[化巻本#no35|P.394]])、『愚禿鈔』([[愚禿上#P--501|P.501]])などに示されている。 | 「信巻」([[信巻本#P--246| P.246]]、[[信巻末#P--254| P.254]])、「化身土巻」([[化巻本#no35|P.394]])、『愚禿鈔』([[愚禿上#P--501|P.501]])などに示されている。 | ||
横 ([[他力]])・竪 ([[自力]])、超 ([[頓教]])・出 ([[漸教]])を組み合わせて用いることにより、釈尊一代の仏教を[[横超]]・[[横出]]・[[竪超]]・[[竪出]]の4種に分類していることから、このように呼ばれる。 | 横 ([[他力]])・竪 ([[自力]])、超 ([[頓教]])・出 ([[漸教]])を組み合わせて用いることにより、釈尊一代の仏教を[[横超]]・[[横出]]・[[竪超]]・[[竪出]]の4種に分類していることから、このように呼ばれる。 | ||
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:③ 「[[竪超]]」。自力聖道門の中の頓教。一念頓悟(段階を経ずただちにさとりを開く)、[[即身成仏]]を説く華厳・天台・真言・禅の教法。 | :③ 「[[竪超]]」。自力聖道門の中の頓教。一念頓悟(段階を経ずただちにさとりを開く)、[[即身成仏]]を説く華厳・天台・真言・禅の教法。 | ||
:④ 「[[竪出]]」。自力聖道門の中の漸教。自力による長時の修行によって漸次にさとりを開こうとする小乗や法相宗などの教法。 | :④ 「[[竪出]]」。自力聖道門の中の漸教。自力による長時の修行によって漸次にさとりを開こうとする小乗や法相宗などの教法。 | ||
− | + | これらの分類は従来の[[教相判釈]]に用いられた[[大乗]]・[[小乗]]、[[頓教]]・[[漸教]]、[[難行]]・[[易行]]、[[聖道門|聖道]]・[[浄土門|浄土]]、[[権教]]・[[実教]]等の概念をうけつつ、[[択瑛法師|択瑛]]の「弁横竪二出」を参考にしたものとされる。(浄土真宗辞典) | |
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− | + | 横超という語は「玄義分」の偈文に「共発金剛志 '''横超'''断四流(ともに金剛の志を発して、横に四流を超断すべし)」([[観経疏 玄義分 (七祖)#no1|玄義分 P.297]]) ([[信巻本#no47|信巻 P.244で引文]]) とある。<br /> | |
+ | この「[[横超]]」の語については『[[西方指南抄]]』下本「浄土宗大意」に法然聖人の指示がある。 | ||
:総じてこれをいへば、五説の中には仏説也、四土の中には報土也、三身の中には二身也、三宝の中には仏宝也、四乗の中には仏乗なり、二教の中には頓教也、二歳(載)の中には菩薩蔵也、二行の中には正行なり、二超の中には'''横超'''也。二縁の中には有縁の行なり、二住の中には止住也、思不思の中には不思議なり。 ([[hwiki:西方指南抄/下本#P--219|西方指南抄]]) | :総じてこれをいへば、五説の中には仏説也、四土の中には報土也、三身の中には二身也、三宝の中には仏宝也、四乗の中には仏乗なり、二教の中には頓教也、二歳(載)の中には菩薩蔵也、二行の中には正行なり、二超の中には'''横超'''也。二縁の中には有縁の行なり、二住の中には止住也、思不思の中には不思議なり。 ([[hwiki:西方指南抄/下本#P--219|西方指南抄]]) | ||
この「浄土宗大意」の記述は項目を列挙しただけであり、その詳細な解説を問う関東の門弟に対して『御消息』([[消息上#no10|消息 P.756]])で詳述され「いまこの浄土宗は横超なり。竪超は聖道自力なり」とされている<ref>御開山は、仏乗、菩薩乗、縁覚乗、声聞乗の四乗について法然聖人が「仏乗」とされていたのを「菩薩乗」とされていた。その真意は不明なのだが、[[本願力回向]]の[[浄土真宗]]は大乗仏教の本流である菩薩道の「[[願作仏心]]」「[[度衆生心]]」であることを示そうとされたのかも知れない。</ref>。 | この「浄土宗大意」の記述は項目を列挙しただけであり、その詳細な解説を問う関東の門弟に対して『御消息』([[消息上#no10|消息 P.756]])で詳述され「いまこの浄土宗は横超なり。竪超は聖道自力なり」とされている<ref>御開山は、仏乗、菩薩乗、縁覚乗、声聞乗の四乗について法然聖人が「仏乗」とされていたのを「菩薩乗」とされていた。その真意は不明なのだが、[[本願力回向]]の[[浄土真宗]]は大乗仏教の本流である菩薩道の「[[願作仏心]]」「[[度衆生心]]」であることを示そうとされたのかも知れない。</ref>。 | ||
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また御開山は「信巻」横超釈で、 | また御開山は「信巻」横超釈で、 | ||
:断といふは、[[往相の一心]]を発起するがゆゑに、[[生]]としてまさに受くべき生なし。[[趣]]としてまた到るべき趣なし。すでに六趣・四生、因亡じ果滅す。ゆゑにすなはち頓に三有の生死を断絶す。ゆゑに断といふなり。四流とはすなはち[[四暴流]]なり。また生・老・病・死なり。([[信巻末#断四流釈|信巻 P.255]]) | :断といふは、[[往相の一心]]を発起するがゆゑに、[[生]]としてまさに受くべき生なし。[[趣]]としてまた到るべき趣なし。すでに六趣・四生、因亡じ果滅す。ゆゑにすなはち頓に三有の生死を断絶す。ゆゑに断といふなり。四流とはすなはち[[四暴流]]なり。また生・老・病・死なり。([[信巻末#断四流釈|信巻 P.255]]) |
2018年9月23日 (日) 15:28時点における版
にそう-しじゅう
二双四重 にそう-しじゅう
仏教全体の中での浄土真宗の法義の位置づけをあきらかにした親鸞の教相判釈のこと。
「信巻」( P.246、 P.254)、「化身土巻」(P.394)、『愚禿鈔』(P.501)などに示されている。
横 (他力)・竪 (自力)、超 (頓教)・出 (漸教)を組み合わせて用いることにより、釈尊一代の仏教を横超・横出・竪超・竪出の4種に分類していることから、このように呼ばれる。
- ①「 横超」。他力浄土門の中の頓教。阿弥陀仏の本願力によって往生と同時に仏のさとりを開く弘願他力の教法。
- ② 「横出」。他力浄土門の中の漸教。他力によりながらもなお自力心が残っていて方便化土に往生する要門、真門の教法。
- ③ 「竪超」。自力聖道門の中の頓教。一念頓悟(段階を経ずただちにさとりを開く)、即身成仏を説く華厳・天台・真言・禅の教法。
- ④ 「竪出」。自力聖道門の中の漸教。自力による長時の修行によって漸次にさとりを開こうとする小乗や法相宗などの教法。
これらの分類は従来の教相判釈に用いられた大乗・小乗、頓教・漸教、難行・易行、聖道・浄土、権教・実教等の概念をうけつつ、択瑛の「弁横竪二出」を参考にしたものとされる。(浄土真宗辞典)
横超という語は「玄義分」の偈文に「共発金剛志 横超断四流(ともに金剛の志を発して、横に四流を超断すべし)」(玄義分 P.297) (信巻 P.244で引文) とある。
この「横超」の語については『西方指南抄』下本「浄土宗大意」に法然聖人の指示がある。
- 総じてこれをいへば、五説の中には仏説也、四土の中には報土也、三身の中には二身也、三宝の中には仏宝也、四乗の中には仏乗なり、二教の中には頓教也、二歳(載)の中には菩薩蔵也、二行の中には正行なり、二超の中には横超也。二縁の中には有縁の行なり、二住の中には止住也、思不思の中には不思議なり。 (西方指南抄)
この「浄土宗大意」の記述は項目を列挙しただけであり、その詳細な解説を問う関東の門弟に対して『御消息』(消息 P.756)で詳述され「いまこの浄土宗は横超なり。竪超は聖道自力なり」とされている[1]。
また御開山は「信巻」横超釈で、
- 断といふは、往相の一心を発起するがゆゑに、生としてまさに受くべき生なし。趣としてまた到るべき趣なし。すでに六趣・四生、因亡じ果滅す。ゆゑにすなはち頓に三有の生死を断絶す。ゆゑに断といふなり。四流とはすなはち四暴流なり。また生・老・病・死なり。(信巻 P.255)
と、二双四重の教判の「横超」とは阿弥陀仏の本願力回向の「往相の一心を発起」して「生死」 (生・老・病・死) を超越する「誓願一仏乗」の浄土で仏と成る真実の宗であるとされた。