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「如実修行相応」の版間の差分

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不如実修行相応に対する語。真如の理にしたがって修行し、その信じるところ、修するところが真如にかなうこと。また、阿弥陀仏の本願に相応し、教のごとくに行じて法に<kana>違(たが)</kana>わないこと。『高僧和讃』には、
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::信心ひとつにさだめたり ([[高僧和讃#no52|高僧 P.587]])
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とあり、「文明本」左訓には「をしへのごとく信ずるこころなり」とある。 (浄土真宗辞典)
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[[Category:追記]]

2018年5月19日 (土) 21:18時点における版

にょじつしゅぎょうそうおう

  【左訓】「をしへのごとく信ずるこころなり」(高僧 P.587)


  真如の理にしたがって修行し、その信ずるところ、修するところが真如にかなうこと。また、阿弥陀仏の本願に相応し、教のごとくに修行して法に違わないこと。


出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

不如実修行相応に対する語。真如の理にしたがって修行し、その信じるところ、修するところが真如にかなうこと。また、阿弥陀仏の本願に相応し、教のごとくに行じて法に(たが)わないこと。『高僧和讃』には、

決定の信をえざるゆゑ
信心不淳とのべたまふ
如実修行相応
信心ひとつにさだめたり (高僧 P.587)

とあり、「文明本」左訓には「をしへのごとく信ずるこころなり」とある。 (浄土真宗辞典)