「大悲心とぞ転ずなる」の版間の差分
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− | + | 【左訓】「さまざまの水の海に入りて、すなはち しほ(潮) となるがごとく善悪のこころの水みな大悲の心(しん)になるなり」(異本)([[正像末和讃#P--607|正像 P.607]]) | |
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2018年3月26日 (月) 01:04時点における版
だいひしんぞどてんずなる
【左訓】「さまざまの水の海に入りて、すなはち しほ(潮) となるがごとく善悪のこころの水みな大悲の心(しん)になるなり」(異本)(正像 P.607)
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
あらゆる水が海に入れば一味の潮(しほ=塩味)になるように、阿弥陀仏の智願は凡夫の善心も悪心も回入すれば他力の大悲心に転換されるということ。
文明本の左訓には、悪の心、善となるを轉ずるなりといふなり、とある。