「曲事」の版間の差分
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[http://jodoshuzensho.jp/jozensearch/search/image.php?lineno=J16_0516A06 円光大師行状画図翼賛]には、承元の法難(1207)で死罪となった安楽房が、念仏を誹謗した者は必ず報いを受けるという『法事讃』の文を誦したとある。 | [http://jodoshuzensho.jp/jozensearch/search/image.php?lineno=J16_0516A06 円光大師行状画図翼賛]には、承元の法難(1207)で死罪となった安楽房が、念仏を誹謗した者は必ず報いを受けるという『法事讃』の文を誦したとある。 | ||
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− | + | 建永二年二月九日。住蓮安樂を庭上にめされて。罪科せらるるとき。安樂。 | |
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− | の文を誦しけるに。逆鱗いよいよさかりにして。官人秀能におほせて。六條川原にして安樂を死罪におこなはるる時。奉行の官人にいとまをこひ。ひとり日沒の禮讃を行するに。紫雲そらにみちければ。諸人あやしみをなすところに。安樂申けるは。念佛數百遍ののち。十念を唱へんをまちてきるべし。合掌みたれずして。右にふさば。本意をとげぬと知へしといひて。高聲念佛數百遍ののち。十念みちける時きられけるに。いひつるにたかはす。合掌みだれずして右にふしにけり。見聞の諸人隨喜の涙をながし。念佛に歸する人おほかりけり。 | + | の文を誦しけるに。逆鱗いよいよさかりにして。官人秀能におほせて。六條川原にして安樂を死罪におこなはるる時。奉行の官人にいとまをこひ。ひとり日沒の禮讃を行するに。紫雲そらにみちければ。諸人あやしみをなすところに。安樂申けるは。念佛數百遍ののち。十念を唱へんをまちてきるべし。合掌みたれずして。右にふさば。本意をとげぬと知へしといひて。高聲念佛數百遍ののち。十念みちける時きられけるに。いひつるにたかはす。合掌みだれずして右にふしにけり。見聞の諸人隨喜の涙をながし。念佛に歸する人おほかりけり。 |
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とあり、念仏を弾圧した後鳥羽上皇は、承久の乱(1221年)によって隠岐島に流罪となり、そこで生涯を閉じられたので、「念仏をとどめられ候ひしが、世に曲事のおこり候ひしかば」といわれたのであろう。 | とあり、念仏を弾圧した後鳥羽上皇は、承久の乱(1221年)によって隠岐島に流罪となり、そこで生涯を閉じられたので、「念仏をとどめられ候ひしが、世に曲事のおこり候ひしかば」といわれたのであろう。 | ||
+ | もっとも後鳥羽上皇は、後年『後鳥羽天皇御作無常講式』を作られて、南無阿弥陀仏を称えて阿弥陀仏の安楽国に往生せんと[[回]]心されたようである。 →[[後鳥羽天皇御作無常講式]] | ||
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:→[[かねて仏の説きおかせ]] | :→[[かねて仏の説きおかせ]] |
2018年2月17日 (土) 21:34時点における版
くせごと
承久の乱(1221)による三上皇の配流を指すものか。(消息 P.783)
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
つまり、法然聖人の説かれた真実の法義 (なんまんだぶを称えて浄土へ往生する義意) を弾圧した者はそれなりの報いを受けるということ。
円光大師行状画図翼賛には、承元の法難(1207)で死罪となった安楽房が、念仏を誹謗した者は必ず報いを受けるという『法事讃』の文を誦したとある。
建永二年二月九日。住蓮安樂を庭上にめされて。罪科せらるるとき。安樂。
- 見有修行起瞋毒。方便破壞競生怨。
- 如此生盲闡提輩。毀滅頓敎永沈淪。
- 超過大地微塵劫。未可得離三途身。
の文を誦しけるに。逆鱗いよいよさかりにして。官人秀能におほせて。六條川原にして安樂を死罪におこなはるる時。奉行の官人にいとまをこひ。ひとり日沒の禮讃を行するに。紫雲そらにみちければ。諸人あやしみをなすところに。安樂申けるは。念佛數百遍ののち。十念を唱へんをまちてきるべし。合掌みたれずして。右にふさば。本意をとげぬと知へしといひて。高聲念佛數百遍ののち。十念みちける時きられけるに。いひつるにたかはす。合掌みだれずして右にふしにけり。見聞の諸人隨喜の涙をながし。念佛に歸する人おほかりけり。
とあり、念仏を弾圧した後鳥羽上皇は、承久の乱(1221年)によって隠岐島に流罪となり、そこで生涯を閉じられたので、「念仏をとどめられ候ひしが、世に曲事のおこり候ひしかば」といわれたのであろう。 もっとも後鳥羽上皇は、後年『後鳥羽天皇御作無常講式』を作られて、南無阿弥陀仏を称えて阿弥陀仏の安楽国に往生せんと回心されたようである。 →後鳥羽天皇御作無常講式