「教信沙弥」の版間の差分
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− | + | 教信沙弥の逸話は、慶滋保胤編纂の『日本往生極楽記』の勝尾寺の「住僧勝如」の項が初出である。[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/822291/27 『日本往生極楽記』慶滋保胤 編纂]<br /> | |
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+ | 永観師の『[[往生十因|往生拾因]]』から沙弥教信関連部分を抜書きして、下記に読み下した。乞う校正。 | ||
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戸外人陳云。我是居住播磨国賀古郡賀古駅北辺 沙弥教信。今往生極楽之時也。上人明年今月今夜可得其迎。為告此由故以来也。然間微光 僅入菴 細楽漸去西矣。 | 戸外人陳云。我是居住播磨国賀古郡賀古駅北辺 沙弥教信。今往生極楽之時也。上人明年今月今夜可得其迎。為告此由故以来也。然間微光 僅入菴 細楽漸去西矣。 | ||
:時に貞観八年八月十五夜空に音楽を聞く。これを奇(あや)しみ思ふ間に、人、柴戸を叩く。ただ咳声をもつて人ありと知らしむ。 | :時に貞観八年八月十五夜空に音楽を聞く。これを奇(あや)しみ思ふ間に、人、柴戸を叩く。ただ咳声をもつて人ありと知らしむ。 | ||
− | :戸外の人、陳( | + | :戸外の人、陳(つ)げて云く。我はこれ播磨の国賀古の郡 賀古の駅の北の辺に居住せる、沙弥教信なり。今、極楽に往生の時なり。上人は明年の今月今夜、その迎えを得べし。この由を告げんが為の故に以つて来れるなり。しかる間、微光僅かに菴に入り。細楽ようやく西に去るなり。 |
勝如驚怪 明旦遣僧 勝鑑令尋彼処。勝鑑不論昼夜発向彼国。毎対往還人問教信之往生事。敢無答者。 | 勝如驚怪 明旦遣僧 勝鑑令尋彼処。勝鑑不論昼夜発向彼国。毎対往還人問教信之往生事。敢無答者。 | ||
:勝如驚怪して明旦、僧勝鑑を遣わし彼の処を尋ねしむ。勝鑑、昼夜を論ぜず彼の国に発向す。往還の人に対(むか)うごとに教信の往生の事を問ふに、あえて答ふる者なし。 | :勝如驚怪して明旦、僧勝鑑を遣わし彼の処を尋ねしむ。勝鑑、昼夜を論ぜず彼の国に発向す。往還の人に対(むか)うごとに教信の往生の事を問ふに、あえて答ふる者なし。 | ||
稍見賀古駅北有小廬。当其廬上鵄烏集翔。漸近寄見 群狗競食死人。傍大石上有新髑髏。容顔不損。眼口似咲。香気薫馥。又臨廬内 有一老嫗一童子 相共哀哭。便問悲情。 | 稍見賀古駅北有小廬。当其廬上鵄烏集翔。漸近寄見 群狗競食死人。傍大石上有新髑髏。容顔不損。眼口似咲。香気薫馥。又臨廬内 有一老嫗一童子 相共哀哭。便問悲情。 | ||
− | :稍( | + | :稍(ようや)く賀古の駅の北を見れば小廬あり。その廬の上に当りて鵄烏集り翔(かけ)る。ようやく近き寄り見れば、群狗競いて死人を食ふ。傍(かたわら)の大石の上に新たなる髑髏あり。容顔損ぜず、眼口咲(え)めるに似たり。香気薫馥す。たた廬内を臨めば、一老嫗一童子のあり。相共に哀哭する。すなわち悲情を問ふ。 |
嫗曰。死人是我夫 沙弥教信也。去十五夜既以死去。今成三日。一生之間 称弥陀号 昼夜不休以為己業。雇用之人呼 為阿弥陀丸。是為送日計已経三十年。是童即子也。今母与子 共失其便不知為方也。 | 嫗曰。死人是我夫 沙弥教信也。去十五夜既以死去。今成三日。一生之間 称弥陀号 昼夜不休以為己業。雇用之人呼 為阿弥陀丸。是為送日計已経三十年。是童即子也。今母与子 共失其便不知為方也。 | ||
:嫗が曰く。死人はこれ我が夫、沙弥教信なり。去十五の夜、既に以つて死去す。今、三日に成れり。一生の間、弥陀の号(みな)を称して、昼夜に休まず以つて己が業となす。これを雇ひ用うる人、呼びて阿弥陀丸となす。これを日を送る計となして、すでに三十年を経たり。この童はすなわち子なり。今、母と子と、共にその便(たより)を失いて、為さん方を知らざるなり。 | :嫗が曰く。死人はこれ我が夫、沙弥教信なり。去十五の夜、既に以つて死去す。今、三日に成れり。一生の間、弥陀の号(みな)を称して、昼夜に休まず以つて己が業となす。これを雇ひ用うる人、呼びて阿弥陀丸となす。これを日を送る計となして、すでに三十年を経たり。この童はすなわち子なり。今、母と子と、共にその便(たより)を失いて、為さん方を知らざるなり。 | ||
於是村里男女往還。道俗具聞 勝鑑之来由。星馳雲集。迴彼髑髏 歌唄讃歎矣。勝鑑速還陳上件事。 | 於是村里男女往還。道俗具聞 勝鑑之来由。星馳雲集。迴彼髑髏 歌唄讃歎矣。勝鑑速還陳上件事。 | ||
− | :ここにおいて村里の男女往還して、道俗具(つぶさ) | + | :ここにおいて村里の男女往還して、道俗具(つぶさ)に勝鑑の来れる由を聞きて、星のごとくに馳せ雲のごとくに集り、彼の髑髏を迴(めぐ)りて、歌唄讃歎す。勝鑑、速(すみやか)に還りて上に件(くだん)の事を陳(の)ぶ。 |
聖人聞此自謂。我年来無言 不如教信口称。恐利他行疎焉。<br> | 聖人聞此自謂。我年来無言 不如教信口称。恐利他行疎焉。<br> | ||
以同二十一日 故往詣聚落。自他共念仏云云 | 以同二十一日 故往詣聚落。自他共念仏云云 | ||
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:同じき二十一日を以つて、故(ことさ)らに聚落に往詣して、自他共に念仏すと 云云。 | :同じき二十一日を以つて、故(ことさ)らに聚落に往詣して、自他共に念仏すと 云云。 | ||
明年八月一日本処隠居。至于期日出堂沐浴。語弟子等。教信之告相当今夜。今生言談此度許也。 | 明年八月一日本処隠居。至于期日出堂沐浴。語弟子等。教信之告相当今夜。今生言談此度許也。 | ||
− | :明年の八月一日、本処に隠居す。その期日に至りて出堂沐浴して、弟子等に語(かたるら)く。教信の告げ今夜に相(あ) | + | :明年の八月一日、本処に隠居す。その期日に至りて出堂沐浴して、弟子等に語(かたるら)く。教信の告げ今夜に相(あ)い当れり。今生の言談、この度(た)びばかりなり。 |
抑涙入堂弁備香華。線付仏手念誦如例。然間漢月影静松風声斜。漸運漏剋 到夜半程。楽音髣聞。異香且芬。聖人合音念仏。聞者歓喜不少。光明忽照紫雲満室。上人向西結印端坐入滅。時年八十七。遺弟等悲喜交集。双眼流涙。結縁上下二百余人。三七日夜囲繞彼屍不断念仏。此間白気猶以不絶。結願之後将以火葬。手印不焼 在於灰中。忽起石塔安之既畢。今号燧石塔之是也。具載彼上人伝。 | 抑涙入堂弁備香華。線付仏手念誦如例。然間漢月影静松風声斜。漸運漏剋 到夜半程。楽音髣聞。異香且芬。聖人合音念仏。聞者歓喜不少。光明忽照紫雲満室。上人向西結印端坐入滅。時年八十七。遺弟等悲喜交集。双眼流涙。結縁上下二百余人。三七日夜囲繞彼屍不断念仏。此間白気猶以不絶。結願之後将以火葬。手印不焼 在於灰中。忽起石塔安之既畢。今号燧石塔之是也。具載彼上人伝。 | ||
− | :涙を抑へて入堂して香華を弁備し、線(いと)を仏の手(みて) | + | :涙を抑へて入堂して香華を弁備し、線(いと)を仏の手(みて)に付けて念誦例のごとし。しかる間、漢月影静かにて松風声斜なり。漸く漏剋(ろうこく)を運びて夜半に到る程、楽音髣(ほのか)に聞へ、異香且(かつ)芬(にほ)ふ。聖人音を合わせて念仏す。聞く者歓喜するに少なからず。光明たちまちに照し紫雲室に満つ。上人西に向ひ印を結び端坐して入滅す。時に年八十七。遺弟等悲喜交集して、双眼より涙を流す。結縁の上下二百余人、三七日夜、かの屍を囲繞して不断に念仏す。この間、白(香)気なお以つて絶えず。結願の後にまさに火葬を以つてせんとするに、手印焼けず灰中に在り。たちまちに石塔を起(た)てこれを安んじ既に畢(おわ)れり。今、燧石の塔と号するは是れなり。具(つぶさ)には彼の上人伝に載(の)す。 |
焉雖在家沙弥 前無言上人、是依弥陀名号不可思議也。教信是誰。何不励乎。練磨其心称名不退。彼常念観音者 尚離 難離之三毒。況常念弥陀人 盍(んぞ)往 易往之浄土哉。 | 焉雖在家沙弥 前無言上人、是依弥陀名号不可思議也。教信是誰。何不励乎。練磨其心称名不退。彼常念観音者 尚離 難離之三毒。況常念弥陀人 盍(んぞ)往 易往之浄土哉。 | ||
:ここに在家の沙弥といえども、無言上人に前(さきだ)つこと、是れ弥陀の名号の不可思議に依つてなり。教信、これ誰ぞ、何んぞ励まざるや。其の心を練磨して称名退せざれ。彼の常念観音の者、なお、この三毒の離れ難きを離る。いわんや常念弥陀の人、なんぞ易往の浄土に往かざるや。 | :ここに在家の沙弥といえども、無言上人に前(さきだ)つこと、是れ弥陀の名号の不可思議に依つてなり。教信、これ誰ぞ、何んぞ励まざるや。其の心を練磨して称名退せざれ。彼の常念観音の者、なお、この三毒の離れ難きを離る。いわんや常念弥陀の人、なんぞ易往の浄土に往かざるや。 |
2018年1月5日 (金) 01:50時点における最新版
教信沙弥の逸話は、慶滋保胤編纂の『日本往生極楽記』の勝尾寺の「住僧勝如」の項が初出である。『日本往生極楽記』慶滋保胤 編纂
永観師の『往生拾因』から沙弥教信関連部分を抜書きして、下記に読み下した。乞う校正。
又為散乱人観法難成。大聖悲憐勧称名行。称名易故 相続自念昼夜不休。豈非無間乎。又不簡身浄不浄。不論心専不専。称名不絶必得往生。運心日久引接何疑。又恒所作是定業故。依之但念仏者往生浄土其証非一。
- また散乱の人の観法成じ難きが為に、大聖悲憐して称名の行を勧めたまふ。称名は易きが故に相続し自念して昼夜に休まず、豈(あ)に無間に非ずや。また身の浄・不浄を簡ばず、心の専・不専を論ぜず、称名絶えざれば必ず往生を得るなり。運心、日久しくば何ぞ引接を疑わん。また恒(つね)の所作は是れ定業なるがゆえに、これに依つてただ念仏者、浄土に往生す、その証一にあらず。
如彼播州 沙弥教信等之其仁也。
- かの播州の沙弥教信等これその仁(ひと)なり。
本朝孝謙天皇御宇。摂津国 郡摂使 左衛門府生 時原佐通妻者。出羽国総大判官代 藤原栄家女也。
- 本朝孝謙天皇の御宇。摂津の国の郡摂使 左衛門の府生時原の佐通の妻は、出羽の国の総大判官代 藤原栄家が女(むすめ)なり。
然而年来歎無子息。毎月十五日沐浴潔斎。往詣寺塔 祈乞男子。経三箇年既以懐妊。天応元年{辛酉}四月五日平産男子。而児已及七歳母不事家業。有愁嘆色。
- 然るに年来、子息無きことを歎きて、毎月十五日に沐浴潔斎し、寺塔に往詣して男子を祈乞す。三箇年をへて既に以つて懐妊す。天応元年(781年){辛酉}四月五日男子を平産す。しかるに児すでに七歳に及びて、母家業を事とせず。愁嘆の色あり。
夫奇問云。仁何有不例気色乎。
妻答云。生子漸以成長。至于今者 欲 為尼 偏念仏。然而順夫之身思徒送日。
- 夫、奇(あや)み問いて云く。仁(なんじ)何んぞ不例の気色あるや。
- 妻、答えて云く。生子、漸(よう)やく以つて成長せり。今に至りては、尼の為とて偏に念仏せんと欲す。然れども夫に順ふの身と思いながら徒(いたずら)に日を送れりと。
夫聞是語云。仁所思尤然。我同剃髪共可念仏。於児童者談付他人。児耳聞之。瞻面浮涙。自此以後已止遊戯。
- 夫、是の語を聞きて云く。仁(なんじ)が思ふところ尤も然なり。我も同く髪を剃りて共に念仏すべし。児童においては他人に談(かたら)い付けん。児これを耳に聞きて、面をあおぎみて涙を浮ぶ。此れより以後已に遊戯を止む。
明朝乞食僧立於門外。家女悦以請入供養即乞出家。 僧云。未至衰老。不臨病患。今求出家。是為最上之善根。
- 明朝乞食の僧、門外に立てり。家女悦びて以つて請じ入れ供養して即ち出家を乞ふ。僧の云く。未だ衰老にも至らず、病患にも臨(のぞ)まず、今出家を求むるは、是れ最上の善根なり。
聞此弥以喜悦。夫妻共剃頭。時年夫四十一 妻三十三也。次七歳童子同乞出家。共受戒了。修行僧留住教経典勧念仏。
- 此れを聞きて弥(いよいよ)以つて喜悦す。夫妻共頭を剃る。時に年夫四十一 妻三十三なり。次に七歳の童子、同じく出家を乞ふ。共に受戒しおわんぬ。修行の僧、留住して経典を教え念仏を勧む。
小僧名注勝如。教『阿弥陀経』並不軽作法。如此三箇年。其後件僧不知行方矣。
- 小僧の名を勝如と注(しる)す。『阿弥陀経』並びに不軽の作法を教ふ、此のごとくすること三箇年。其の後、件(くだん)の僧、行き方を知らざるなり。
延暦十四年{乙亥}二月十八日朝。入道与尼共同沐浴読経念仏。至于夜半両人命終焉。時家中男女不知之。勝如於傍 打金鼓唱仏号。近隣聞驚問訊之。
又一周忌了 勝如修不軽行。已得礼拝十六万七千六百余家。以此慧業迴向二親。不軽之間 毎臨門門香気自熏。見聞道俗皆以奇之。
- 延暦十四年{乙亥}二月十八日の朝。入道、尼と共に同じく沐浴して読経念仏して、夜半に至りて両人命終す。その時に家中の男女これを知らず。勝如傍において金鼓を打ちて仏号を唱ふ。近隣聞き驚きてこれを問訊する。
- また一周忌おわりて、勝如、不軽の行を修す。すでに十六万七千六百余家を礼拝することを得たり。この慧業をもって二親に迴向す。不軽の間、門門に臨むごとに香気自熏す。見聞の道俗、皆これを以つて奇とす。
其後登勝尾寺。証(道)上人為師。学顕密正教。已経七箇年。遂卜寂寞地。別結構草菴。修念仏定五十余年。味道忘疲五日一飯。禁断言語十二箇年。同行弟子相見尤希。
- その後、勝尾寺に登りて、証道上人を師となして、顕密の正教を学す。すでに七箇年をへて、遂に寂寞の地を卜(ぼく)し、別に草菴を結構し念仏定を修すること五十余年、道を味わい疲れを忘れて五日に一たび飯す。言語を禁断すること十二箇年、同行弟子相見することもっとも希なり。
于時貞観八年八月十五夜空聞音楽。奇思之間人叩柴戸。唯以咳声令知有人。 戸外人陳云。我是居住播磨国賀古郡賀古駅北辺 沙弥教信。今往生極楽之時也。上人明年今月今夜可得其迎。為告此由故以来也。然間微光 僅入菴 細楽漸去西矣。
- 時に貞観八年八月十五夜空に音楽を聞く。これを奇(あや)しみ思ふ間に、人、柴戸を叩く。ただ咳声をもつて人ありと知らしむ。
- 戸外の人、陳(つ)げて云く。我はこれ播磨の国賀古の郡 賀古の駅の北の辺に居住せる、沙弥教信なり。今、極楽に往生の時なり。上人は明年の今月今夜、その迎えを得べし。この由を告げんが為の故に以つて来れるなり。しかる間、微光僅かに菴に入り。細楽ようやく西に去るなり。
勝如驚怪 明旦遣僧 勝鑑令尋彼処。勝鑑不論昼夜発向彼国。毎対往還人問教信之往生事。敢無答者。
- 勝如驚怪して明旦、僧勝鑑を遣わし彼の処を尋ねしむ。勝鑑、昼夜を論ぜず彼の国に発向す。往還の人に対(むか)うごとに教信の往生の事を問ふに、あえて答ふる者なし。
稍見賀古駅北有小廬。当其廬上鵄烏集翔。漸近寄見 群狗競食死人。傍大石上有新髑髏。容顔不損。眼口似咲。香気薫馥。又臨廬内 有一老嫗一童子 相共哀哭。便問悲情。
- 稍(ようや)く賀古の駅の北を見れば小廬あり。その廬の上に当りて鵄烏集り翔(かけ)る。ようやく近き寄り見れば、群狗競いて死人を食ふ。傍(かたわら)の大石の上に新たなる髑髏あり。容顔損ぜず、眼口咲(え)めるに似たり。香気薫馥す。たた廬内を臨めば、一老嫗一童子のあり。相共に哀哭する。すなわち悲情を問ふ。
嫗曰。死人是我夫 沙弥教信也。去十五夜既以死去。今成三日。一生之間 称弥陀号 昼夜不休以為己業。雇用之人呼 為阿弥陀丸。是為送日計已経三十年。是童即子也。今母与子 共失其便不知為方也。
- 嫗が曰く。死人はこれ我が夫、沙弥教信なり。去十五の夜、既に以つて死去す。今、三日に成れり。一生の間、弥陀の号(みな)を称して、昼夜に休まず以つて己が業となす。これを雇ひ用うる人、呼びて阿弥陀丸となす。これを日を送る計となして、すでに三十年を経たり。この童はすなわち子なり。今、母と子と、共にその便(たより)を失いて、為さん方を知らざるなり。
於是村里男女往還。道俗具聞 勝鑑之来由。星馳雲集。迴彼髑髏 歌唄讃歎矣。勝鑑速還陳上件事。
- ここにおいて村里の男女往還して、道俗具(つぶさ)に勝鑑の来れる由を聞きて、星のごとくに馳せ雲のごとくに集り、彼の髑髏を迴(めぐ)りて、歌唄讃歎す。勝鑑、速(すみやか)に還りて上に件(くだん)の事を陳(の)ぶ。
聖人聞此自謂。我年来無言 不如教信口称。恐利他行疎焉。
以同二十一日 故往詣聚落。自他共念仏云云
- 聖人、これを聞きて自から謂(おも)へらく。我が年来の無言、教信の口称にしかず。恐くは利他の行疎(おろそ)かならん。
- 同じき二十一日を以つて、故(ことさ)らに聚落に往詣して、自他共に念仏すと 云云。
明年八月一日本処隠居。至于期日出堂沐浴。語弟子等。教信之告相当今夜。今生言談此度許也。
- 明年の八月一日、本処に隠居す。その期日に至りて出堂沐浴して、弟子等に語(かたるら)く。教信の告げ今夜に相(あ)い当れり。今生の言談、この度(た)びばかりなり。
抑涙入堂弁備香華。線付仏手念誦如例。然間漢月影静松風声斜。漸運漏剋 到夜半程。楽音髣聞。異香且芬。聖人合音念仏。聞者歓喜不少。光明忽照紫雲満室。上人向西結印端坐入滅。時年八十七。遺弟等悲喜交集。双眼流涙。結縁上下二百余人。三七日夜囲繞彼屍不断念仏。此間白気猶以不絶。結願之後将以火葬。手印不焼 在於灰中。忽起石塔安之既畢。今号燧石塔之是也。具載彼上人伝。
- 涙を抑へて入堂して香華を弁備し、線(いと)を仏の手(みて)に付けて念誦例のごとし。しかる間、漢月影静かにて松風声斜なり。漸く漏剋(ろうこく)を運びて夜半に到る程、楽音髣(ほのか)に聞へ、異香且(かつ)芬(にほ)ふ。聖人音を合わせて念仏す。聞く者歓喜するに少なからず。光明たちまちに照し紫雲室に満つ。上人西に向ひ印を結び端坐して入滅す。時に年八十七。遺弟等悲喜交集して、双眼より涙を流す。結縁の上下二百余人、三七日夜、かの屍を囲繞して不断に念仏す。この間、白(香)気なお以つて絶えず。結願の後にまさに火葬を以つてせんとするに、手印焼けず灰中に在り。たちまちに石塔を起(た)てこれを安んじ既に畢(おわ)れり。今、燧石の塔と号するは是れなり。具(つぶさ)には彼の上人伝に載(の)す。
焉雖在家沙弥 前無言上人、是依弥陀名号不可思議也。教信是誰。何不励乎。練磨其心称名不退。彼常念観音者 尚離 難離之三毒。況常念弥陀人 盍(んぞ)往 易往之浄土哉。
- ここに在家の沙弥といえども、無言上人に前(さきだ)つこと、是れ弥陀の名号の不可思議に依つてなり。教信、これ誰ぞ、何んぞ励まざるや。其の心を練磨して称名退せざれ。彼の常念観音の者、なお、この三毒の離れ難きを離る。いわんや常念弥陀の人、なんぞ易往の浄土に往かざるや。
若常途念仏不能勇進。依此経説修臨時行。要須閑処料理道場。先於西壁安弥陀像。若一日若七日。随堪荘厳。随力供養。持戒清浄威儀具足。毎日三時或四時或五時或六時。毎時三万或二万或一万或五千。随行者意発願回向専念勤修。如綽禅師七日念仏得百万遍也。若七日夜勇猛精進 至終焉之暮 被弥陀之加 豈為永劫安楽不励七日苦行乎。
- もし常途の念仏勇進することあたわずんば。此の経の説に依つて臨時の行を修すべし。要(かなら)ず、すべからく閑処にして道場を料理し、まず西壁において弥陀像を安んず。もしは一日もしは七日、堪えるに随つて荘厳し、力に随いて供養せよ。持戒清浄にして威儀具足すべし。毎日三時あるいは四時あるいは五時あるいは六時、毎時に三万あるいは二万あるいは一万あるいは五千。行者の意に随いて発願し回向し専念勤修せよ。綽禅師のごときは七日の念仏に百万遍を得たまえり。もし七日夜、勇猛に精進すれば、終焉の暮に至りて弥陀の加を被(こうむ)る。あに永劫の安楽の為に七日の苦行を励まざらんや。