「法性」の版間の差分
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梵語ダルマター(dharmatā)の漢訳。法の法たる性という意。人間の虚妄分別を超えた存在(法)の真実なるありよう。すべての存在の真実常住なる本性。またすべての存在の本性があらゆる差別の相を超えていることをいう。 | 梵語ダルマター(dharmatā)の漢訳。法の法たる性という意。人間の虚妄分別を超えた存在(法)の真実なるありよう。すべての存在の真実常住なる本性。またすべての存在の本性があらゆる差別の相を超えていることをいう。 | ||
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(梵)ダルマター(dharmatā)の訳。法の体性の意。宇宙のすべての現象が有している真実不変の本性のこと。真如法性、真法性、真性ともいい、真如の異名ともする。<br /> | (梵)ダルマター(dharmatā)の訳。法の体性の意。宇宙のすべての現象が有している真実不変の本性のこと。真如法性、真法性、真性ともいい、真如の異名ともする。<br /> | ||
大智度論巻三二には、諸法に各各相(現象の差別的な相)と実相とがあり、各各相は、例えば蝋を火にあてれば溶けてしまって以前の相を失うように、固定的なものではないからそれを分別して求めようとすれば遂に不可得である。不可得であるから空であり、即ちその空であることが諸法の実相であると説き、空であることがすべての差別相についてみな同一であるからその意味で如(にょ)といい、すべての相が同じく空に帰するという意味で、空を法性と名づけるとし、また例えば黄石中に金の性があるように一切世間の法の中にみな涅槃の法性があって、この諸法本然の実性を法性とすると説く。<br /> | 大智度論巻三二には、諸法に各各相(現象の差別的な相)と実相とがあり、各各相は、例えば蝋を火にあてれば溶けてしまって以前の相を失うように、固定的なものではないからそれを分別して求めようとすれば遂に不可得である。不可得であるから空であり、即ちその空であることが諸法の実相であると説き、空であることがすべての差別相についてみな同一であるからその意味で如(にょ)といい、すべての相が同じく空に帰するという意味で、空を法性と名づけるとし、また例えば黄石中に金の性があるように一切世間の法の中にみな涅槃の法性があって、この諸法本然の実性を法性とすると説く。<br /> | ||
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2018年1月4日 (木) 08:49時点における版
ほっしょう(しんにょ-ほっしょう)
梵語ダルマター(dharmatā)の漢訳。法の法たる性という意で、一切の存在の真実常住なる本性を指す。
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
- 法性
梵語ダルマター(dharmatā)の漢訳。法の法たる性という意。人間の虚妄分別を超えた存在(法)の真実なるありよう。すべての存在の真実常住なる本性。またすべての存在の本性があらゆる差別の相を超えていることをいう。 真如・実相・法界などの異名として用いられる。「証巻」には、
- 実相はすなはちこれ法性なり。法性はすなはちこれ真如なり。真如はすなはちこれ一如なり。 (証巻 P.307)
とある。 (浄土真宗辞典)
仏教学辞典では、
(梵)ダルマター(dharmatā)の訳。法の体性の意。宇宙のすべての現象が有している真実不変の本性のこと。真如法性、真法性、真性ともいい、真如の異名ともする。
大智度論巻三二には、諸法に各各相(現象の差別的な相)と実相とがあり、各各相は、例えば蝋を火にあてれば溶けてしまって以前の相を失うように、固定的なものではないからそれを分別して求めようとすれば遂に不可得である。不可得であるから空であり、即ちその空であることが諸法の実相であると説き、空であることがすべての差別相についてみな同一であるからその意味で如(にょ)といい、すべての相が同じく空に帰するという意味で、空を法性と名づけるとし、また例えば黄石中に金の性があるように一切世間の法の中にみな涅槃の法性があって、この諸法本然の実性を法性とすると説く。
一般には法性を如来蔵と区別して広く、一切法の実性の意とするが、また如来蔵と同義とする説もある。(仏教学辞典)
とする。