「専持名号…」の版間の差分
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+ | 『龍舒浄土文』には、襄陽の『阿弥陀経』の石碑に「若一日 若二日……若七日 一心不乱」の後に「専持名号以称名故諸罪消滅。即是多善根福徳因縁(もつぱら名号を持つ。 称名をもつてのゆゑに諸罪消滅す。 すなはちこれ多善根福徳の因縁なり)」とあったという。そして、この石碑の文によって前段の「不可以少善根福徳因縁得生彼国(少善根福徳の因縁をもつてかの国に生ずることを得べからず )」の文の意味は、多善根福徳の〔なんまんだぶ〕を称えることであることが判ったという。 | ||
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+ | 『龍舒浄土文』→[http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT2012/T1970_.47.0257a11.html 蔵教] | ||
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+ | :乃隋陳仁稜所書。字画清婉。人多慕玩。自一心不乱 而下云。 | ||
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+ | :今世伝本脱此二十一字。 | ||
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+ | :乃十方仏在養字号。今本脱四方仏 | ||
+ | ::すなわち十方の仏在しまして字号を養(すす)む。今の本には四方の仏を脱せり。 | ||
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+ | なお、御開山は同趣旨を元照律師の『阿弥陀経義疏』を引文され、 | ||
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+ | :元照律師の『弥陀経の義疏』にいはく、「如来、持名の功勝れたることを明かさんと欲す。まづ余善を貶して少善根とす。いはゆる布施・持戒・立寺・造像・礼誦・座禅・懺念・苦行、一切福業、もし正信なければ、回向願求するにみな少善とす。往生の因にあらず。もしこの経によりて名号を執持せば、決定して往生せん。すなはち知んぬ、称名はこれ多善根・多福徳なりと。むかしこの解をなしし、人なほ遅疑しき。近く襄陽の石碑の経の本文を得て、理冥符せり。はじめて深信を懐く。かれにいはく、〈善男子・善女人、阿弥陀仏を説くを聞きて、一心にして乱れず、名号を専称せよ。称名をもつてのゆゑに、諸罪消滅す。すなはちこれ多功徳・多善根・多福徳因縁なり〉」と。{以上} | ||
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+ | と、され名号の超勝性をあらわす善本の文証として化巻で引文されておられる。 | ||
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+ | →[[襄陽の石碑の経]] | ||
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+ | [[Category:追記]] |
2017年11月3日 (金) 21:39時点における最新版
もつぱら名号を
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『龍舒浄土文』には、襄陽の『阿弥陀経』の石碑に「若一日 若二日……若七日 一心不乱」の後に「専持名号以称名故諸罪消滅。即是多善根福徳因縁(もつぱら名号を持つ。 称名をもつてのゆゑに諸罪消滅す。 すなはちこれ多善根福徳の因縁なり)」とあったという。そして、この石碑の文によって前段の「不可以少善根福徳因縁得生彼国(少善根福徳の因縁をもつてかの国に生ずることを得べからず )」の文の意味は、多善根福徳の〔なんまんだぶ〕を称えることであることが判ったという。
『龍舒浄土文』→蔵教
- 阿弥陀経脱文 襄陽石刻阿弥陀経
- 阿弥陀経の脱文、襄陽の石に『阿弥陀経』を刻れり。
- 乃隋陳仁稜所書。字画清婉。人多慕玩。自一心不乱 而下云。
- すなはち隋の陳仁稜が書けるところの字画、清婉にして人多く慕ひ玩ぶ。一心不乱より下に、
- 専持名号以称名。故諸罪消滅。即是多善根福徳因縁。
- もつぱら名号を持つ。 称名をもつてのゆゑに諸罪消滅す。 すなはちこれ多善根福徳の因縁なり。 と云えり。
- 今世伝本脱此二十一字。
- 今、世の伝本にこの二十一字を脱せり。
- 又蔵本此経亦名諸仏摂受経。
- また「蔵本」には、この経をまた『諸仏摂受経』と名づく。
- 乃十方仏在養字号。今本脱四方仏
- すなわち十方の仏在しまして字号を養(すす)む。今の本には四方の仏を脱せり。
なお、御開山は同趣旨を元照律師の『阿弥陀経義疏』を引文され、
- 元照律師の『弥陀経の義疏』にいはく、「如来、持名の功勝れたることを明かさんと欲す。まづ余善を貶して少善根とす。いはゆる布施・持戒・立寺・造像・礼誦・座禅・懺念・苦行、一切福業、もし正信なければ、回向願求するにみな少善とす。往生の因にあらず。もしこの経によりて名号を執持せば、決定して往生せん。すなはち知んぬ、称名はこれ多善根・多福徳なりと。むかしこの解をなしし、人なほ遅疑しき。近く襄陽の石碑の経の本文を得て、理冥符せり。はじめて深信を懐く。かれにいはく、〈善男子・善女人、阿弥陀仏を説くを聞きて、一心にして乱れず、名号を専称せよ。称名をもつてのゆゑに、諸罪消滅す。すなはちこれ多功徳・多善根・多福徳因縁なり〉」と。{以上}
と、され名号の超勝性をあらわす善本の文証として化巻で引文されておられる。