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げんただ
 
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 眼はただ色(しき)境(きょう) (もの、すがた、かたち) という対象 (所縁) を見るだけで、声を聞く、香を嗅ぐなどということはない。 ここにいう 「行ず」 は心が対象を認識するはたらきのこと。 ([[浄土論註 (七祖)#P--82|論註 P.82]])
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 眼はただ<kana>色(しき)</kana><kana>境(きょう)</kana> (もの、すがた、かたち) という対象 (所縁) を見るだけで、声を聞く、香を嗅ぐなどということはない。 ここにいう 「行ず」 は心が対象を認識するはたらきのこと。 ([[浄土論註 (七祖)#P--82|論註 P.82]])
  
 
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2017年11月1日 (水) 14:33時点における最新版

げんただ

 眼はただ(しき)(きょう) (もの、すがた、かたち) という対象 (所縁) を見るだけで、声を聞く、香を嗅ぐなどということはない。 ここにいう 「行ず」 は心が対象を認識するはたらきのこと。 (論註 P.82)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

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