「外に賢善精進の相を現ずることを得ざれ、内に虚仮を懐いて」の版間の差分
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+ | 善導大師の「散善義」では内外相応をいうのであるが、御開山は自己に真実は無いという立場からこのように訓まれた。『愚禿鈔』で「内は愚にして外は賢なり」とされておられる。自己に真実がないから如来の真実の依るのであった。 |
2017年10月28日 (土) 13:45時点における最新版
通常は「外に賢善精進の相を現じ、内に虚仮を懐くことを得ざれ」と読む。(信巻 P.216, 愚禿下 P.517)
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
「散善義」の当面読み
- 不得外現賢善精進之相 内懐虚仮
- 外に賢善精進の相を現じ、内に虚仮を懐くことを得ざれ
御開山の訓
- 不得外現賢善精進之相 内懐虚仮
- 外に賢善精進の相を現ずることを得ざれ、内に虚仮を懐いて
善導大師の「散善義」では内外相応をいうのであるが、御開山は自己に真実は無いという立場からこのように訓まれた。『愚禿鈔』で「内は愚にして外は賢なり」とされておられる。自己に真実がないから如来の真実の依るのであった。