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きょうりょうやしゃ
 
きょうりょうやしゃ
  
 (5世紀頃)西域の僧で、ひろく三蔵に通じていた。劉宋(りゅうそう)の元嘉(げんか)年間(424-453)のはじめ、建康(けんこう)(現在江蘇省の南京)に至り、『観経』一巻などを訳出した。その後甘粛・四川方面を巡遊して仏教をひろめたが、六十歳で江陵(現在の湖北省江陵)に没したと伝えられる。 [[観経#P--87|観経 P.87]]
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 (5世紀頃)西域の僧で、ひろく三蔵に通じていた。<kana>劉宋(りゅうそう)</kana>の<kana>元嘉(げんか)</kana>年間(424-453)のはじめ、<kana>建康(けんこう)</kana>(現在江蘇省の南京)に至り、『観経』一巻などを訳出した。その後甘粛・四川方面を巡遊して仏教をひろめたが、六十歳で江陵(現在の湖北省江陵)に没したと伝えられる。 [[観経#P--87|観経 P.87]]
  
 
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2017年10月24日 (火) 20:20時点における最新版

きょうりょうやしゃ

 (5世紀頃)西域の僧で、ひろく三蔵に通じていた。劉宋(りゅうそう)元嘉(げんか)年間(424-453)のはじめ、建康(けんこう)(現在江蘇省の南京)に至り、『観経』一巻などを訳出した。その後甘粛・四川方面を巡遊して仏教をひろめたが、六十歳で江陵(現在の湖北省江陵)に没したと伝えられる。 観経 P.87

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

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